――今日は歌舞伎町にある「アイリス行政書士事務所」におじゃましています。鈴木選手の行政書士と格闘家という2足のわらじ生活はかなり長いんですか?
鈴木 いや、以前はサラリーマンだったんですよ。あと米軍で働いてたり、水商売をやっていたり……。
――ちょっと待ってください。あまりなじみのない言葉がサラッと聞こえてきましたが……。
鈴木 いやだから米軍です。あとは金融業で働いていたり。
――米軍に金融、格闘家兼行政書士。そして事務所は歌舞伎町……。まるで新堂冬樹のピカレスク小説ですね。
鈴木 まあ、いろいろとやってたんですよね。ハッハッハッハッ!
――なるほど(笑)。米軍話はのちほどお聞きしますが、まずは行政書士の仕事内容を教えてください。
鈴木 簡単なことをいえば司法書士は登記を扱う仕事で、社労士は労務、税理士は税を扱い、弁護士は法律を扱ってるわけですよね。極端に言えば、行政書士はそれ以外のすべてを扱ってるわけです。その行政書士にも大きく分けると2つあって、民事法務と許認可。民事は契約書や内容証明を作成します。許認可のほうは会社や医療法人、旅行業や不動産、あとは風俗の届け出ですよね。デリヘル、ソープランド、ラブホテル、キャバクラなんかの許可や届け出も自分の仕事で。こないだ町田市に初めて風俗案内所ができたんですけど、それはウチが手がけまして。
――町田の風俗好きは鈴木選手に頭が上がらないわけですね。事務所が歌舞伎町にもあるのもピンクな理由からなんですか?
鈴木 というわけでもないんですけどね。まあ新宿は交通の便がいいですから。前の事務所は職安通り沿いにあったんですけど、周囲には893の方々しかいないような環境で。いやもう大変でした。ハッハッハッハッ!
――話がどうしても一般社会から遠ざかっていきがちですが、そんな鈴木選手のバックボーンは空手なんですよね。
鈴木 はい。極真会館城西支部三和道場の内弟子だったんですよ。
――極真の内弟子! 鈴木選手、なんだか経歴が凄すぎます。
鈴木 ただ、当時もお金がなかったんで歌舞伎町のバーとかで働いてましたけど。
――どうしても歌舞伎町につながる……。しかし、極真の内弟子ってハードな環境ですよね。
鈴木 あの頃は理不尽でしたねぇ……。あるときサンダルで道場に行ったら2時間正座をさせられましたからね。「なんでサンダルで来ちゃいけないか、わかるまで正座をしていろ!」と。わかるわけないですよ、18、9歳の人間が。それで答えがみつからないまま2時間経ったら「おまえ、満員電車で女性のハイヒールに踏まれてケガして練習できなかったらどうするんだ!?」とまたしかられて。ただあのときはわかならかったんですが、いまでは何を言わんとしてたのかわかります。日常生活においての武道に対する姿勢を正すためだったんだと。
――プロレスの新弟子と極真の内弟子生活は絶対に体験したくはないんですけど、他人の壮絶エピソードはぜひ聞きたいんですよね。
鈴木 かなりキツかったですよ。血尿が出たときも稽古は休めないですし、足の骨を折ろうが「できることがあるっ!!」ということで練習は参加させられて。たしかにプロレスラーの新弟子と変わらないくらいの理不尽な世界ではありましたね。もちろん得ることもたくさんあり、いまではあの経験があったからこそ頑張れと感謝しています。
――どうしてそんな過酷な環境に飛び込んだんですか?
鈴木 純粋だったんですよね、あの頃は。「空手で強くなりたい!空手で食って行きたい!!」という思いがありまして。ちょうど城西支部の三和道場は「常勝軍団」と言われてまして、世界大会に3人もの選手を送り込んでいたところなんです。それで次世代では自分が期待をされていた部分もあったと思います。あの当時あった『パワー空手』という雑誌にも取り上げられたんです。
――つまり期待の大型新人だったわけですね。
鈴木 それで高校卒業するときに師範に「その気があるんだったら内弟子になるか」と聞かれて「押忍!」と二つ返事で。
――内弟子の厳しさは想像していたんですか?
鈴木 いや、内弟子になる前から厳しかったんですよ。自分が道場に入ったのは中学3年生なんですけど。その頃は中学生の道場生が誰もいなかったんですよ。練習が厳しすぎてみんなやめちゃって。
――中学生でも容赦しない!(笑)。
鈴木 春休みやゴールデンウィークは毎日朝から練習してましって。休みのときなど、ほかの稽古生も最初は興味本位で来るんですけど、二度と姿を見せないことが多かったですね。いまは中学生への指導もだいぶ柔らかくなってきてますけど。
――いまのように初心者に優しくなかったわけですね。
鈴木 それに当時は中学生の大会なんかないから、いきなり一般の大会に徒手空拳で出させられましたからね。いまの中学生や高校生は防具をつけて大会に出てますけど、当時はそんなものはありませんでしたし……。
――無茶しますねぇ。
鈴木 卒業して内弟子になってからはもっと地獄だったんですけど……。同級生が車の免許取ったとか合コンをやったとか人生を楽しんでるときに、金もない時間もない身体はボロボロ。しゃべる言葉は「押忍!」だけ。まあ、そういう青春も面白かったんですけど……(しみじみと)。
――ちなみに内弟子の一日ってどんなスケジュールなんですか?
鈴木 基本的に朝10時から13時まで道場で練習。15時まで食事をすませながら事務仕事をやって17時までウェイト。17時30分から指導があって19時から23時まで練習という感じです。
――聞いてるだけで逃げ出したくなりますね……。
鈴木 とても合理的ではなかったですし、人間ってつらいときは志向が止まるんだなってことを学習しました。日曜日はいちおう休みなんですけど、なにかしらイベントごとがあったり。いま思い出しても具合を悪くなるんですけど、あの体験があったから「負けられない!」という気持ちはありますよね。
――内弟子をやめられたのはどういう理由があったんですか?
鈴木 将来が不安になったんですよね。全日本に出たときに結果が思わしくなかったことで自信がなくなって「この先、どうなるんだろう……?」と考えちゃって。お金もないから他人には言えないような怪しいバイトもやっているわけじゃないですか。それで内弟子をやめて就職をしたんですよ。
――どこに就職をしたんですか?
鈴木 在日米軍の座間米軍基地です。
――極真から米軍……なぜそうなるんですか(笑)。
鈴木 いろんなつてをたどって就職したんですけど。セキュリティガードといって基地の前で銃を持って警備する仕事で。MPってあるじゃないですか。軍隊の警察。その下部組織なんですよね。
――たとえば何か非常事態があれば発砲していいんですか?
鈴木 極端なことをいえば、不審者が襲ってきたら撃ち殺していいわけですよ……。
――えっ、ホントですか!?
鈴木 そういう裁量権はありましたよ。たまに左翼系統の連中が米軍基地に迫撃砲を撃ってきて地面に穴が開いたりしますからね。「なんだ、この仕事は!?」って驚きましたけど(笑)。自分が働いてるあいだに4~5回はありましたよ。それで誰かがケガしたわけではないんですけど。
――銃火器を持たされるということは狙撃練習もさせらるんですよね?
鈴木 ええ。でもショットガンなんで素人でも簡単に当たるんですよ。ハンドガンやライフルは洗練された技術が必要ですけど、ショットガンは引き金を引けば当たりますから。ハッハッハッハッ!
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