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斎藤裕がコロナ禍のRIZINを振り返るインタビューです!(聞き手/ジャン斉藤)
★以前配信されたものを再構成した記事です


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――
どうもDropkickのジャン斉藤です。今日のDropkickニコ生スタジオのゲストはこの方です!

斎藤 はい、斎藤裕と申します。よろしくお願いします。

――
いつも試合前後にしか取材しないので、とくに何かあるわけでもなく取材するのは新鮮な感じです(笑)。

斎藤
 そうですね(笑)。

――
朝倉未来選手が一旦引退したり、朝倉海選手がUFCに行ったり、那須川天心選手がボクシングに転向したりして、いまのRIZINは新章がスタートしているんですけど。今日は斎藤選手にコロナ禍のRIZINを振り返っていただきたいなと。

斎藤
 狂乱の時代を駆け抜けてきましたからねぇ。

――
澄ました顔してますけど、誹謗中傷の嵐に遭われてましたね(笑)。いまは格闘技以外の件で忙しそうですね。

斎藤
 いまはラーメン屋さんの開店準備に追われていますね。毎日すごく忙しいです(笑)。

――
RIZINに上がる前ってラーメン屋をやる構想はありました?

斎藤
 いやあ、まったくないですね。まず選手をいつまで続けるのかもわからなかったし、RIZIN初参戦はコロナ真っ只中のときで。自分の人生がどういう風に進んでいくんだろうと。将来の不安はかなり大きかったですね。

――
斎藤選手がRIZINに参戦したのは2020年ですが、RIZINがスタートした2015年の頃の選択肢は2つあったと思うんですよ。ひとつはUFC、もうひとつはONEですね。

斎藤
 自分が修斗のチャンピオンになったのが2016年なんですけど、一応チャンピオン契約があって気軽に他の団体に行けるという状況ではなかったと思います。防衛戦をやらなければ、その先にシフトしていけないというか。なので、ずっと修斗で戦うという選択もあったんですけど、やっぱりキャリアアップという面で見ると、ONEかUFCか。あとアジアでいえば、ROAD FCやPXCとか。選択肢は意外とあったんですけど。ボクは海外に縁がなかったというか、タイミング的にもなかったんですよね。

――
おそらく一番現実的だったのはONEですよね。

斎藤
 そうですね。2019年頃から修斗がONEと提携をしたので、その流れで契約はあるのかなという時代でしたね。

――
実際ONEの日本大会に出場する話はあったじゃないですか。修斗とパンクラスの4階級の王者対決が組まれたんですが、なぜか斎藤選手のフェザー級だけ試合がなかったという。

斎藤
 なんでフェザー級だけ試合がなかったのかボクが聞きたいぐらいです(笑)。当初聞いていた話では各階級のチャンピオン対決があるってことだったんですけど……。

――
あの対抗戦は勝てば5万ドルのウインボーナスがありますから出たいですよね。

斎藤
 それとはべつにファイトマネーが入ってくるわけですからね。

――
あのときの状況を簡単に説明すると、斎藤選手の対戦候補はパンクラス王者のISAO選手だったんだけど。ISAO選手はUFC志望という理由もあって対抗戦に出なかったと発言していますね。

斎藤 実際のところどうなのかわからないんですけど、ISAOさんの意思が尊重されたようなかたちになったのかなと思います。でも、あそこで出られなかったことで吹っ切れた感じがしましたね。やっぱりこういうのはめぐり合わせですから。修斗やパンクラスからONEに進んでいる選手もいた中で、自分がそうならなかったのはやっぱりご縁がないのかなと。自分の階級でONEと契約している選手も若い選手が何人かいたので、そうなると自分が行くところではないのかなって直感で感じていました。

――
たしかにISAO選手との試合がなくてもONEと契約してもおかしくない状況でしたね。

斎藤
 あのときフェザー級でいえば、松嶋こよみ選手や中原(由貴)選手もONEと契約してたんじゃないかな。20代で有望な選手たちが選ばれた。自分はそのとき31歳ぐらいだったはずなので、年齢の事情もあったのかなと。そこも巡り合わせです。

――
ボクが驚いたのは、斎藤選手のマネージャーの遠藤(正吾)さんが「ONEに出れなくて逆にチャンスだと思った」と振り返っていたことなんですよ。あのとき日本格闘技界は「ONEこそが理想郷」という雰囲気だったから慧眼だなと。

斎藤 遠藤さんとはミーティングを頻繁に重ねていたというか、ONEに出ることや修斗で誰と戦うか。将来のビジョンの打ち合わせをずっとしてたんです。でも、ONEのチャンピオン対決に出れないってなったときは「……この先どうなるんだろうなあ」とは思いましたね(苦笑)。

――
でも、遠藤さんは「これでRIZINに絞れる」と喜んだわけですね(笑)。

斎藤
 ハハハハハ。結果的にはあそこが自分にとっての分かれ道だったと思うんですよね。自分とマネージャーの目線は違ったんですけど、自分も「そうだよな」って腑に落ちる感じもありました。だから変に落ちることもなく「次の試合をしっかり頑張ろう」という話をしたことを覚えています。

――
そこで遠藤さんが猛烈にONEにプッシュしてたら契約しててもおかしくなかった。とはいっても当時のRIZINはフェザー級は稼働してなかったですよね。

斎藤
 朝倉未来選手が矢地(祐介)選手と70キロ契約で試合してましたよね。

――
朝倉選手はライト級GPに出る・出ないみたいな話もありました。RIZINからのオファーはあったんですよね?

斎藤 あったんですけど、「これは自分がやる試合なのかな?」と思ったことはありました。

――
これは明らかにされていることなのでいいますけど、平本蓮選手とのキックルールのオファーがあったりするわけじゃないですか。BELLATOR JAPANで平本選手と芦田(崇宏)選手がやりましたが、もしかしたら斎藤選手だった可能性があったんですよね。

・RIZINキックルールを断った理由
・朝倉未来の挑発をスカしたのは…
・誹謗中傷の嵐
・興行を背負うということ
・朝倉未来との再戦でみんなを救った
・RIZINという船を作った…13000字インタビューはまだまだ続く

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