佐野 前回の反響どうですか?
──反響は大きくて「知らない世界」って言い方は失礼なんですけど、知らない世界はもっと知りたいというか。
佐野 あぁ、本当ですか。それはよかったです。
──今回もいろいろとお聞きしたいんですが……佐野さんは鶴見五郎さんの国際プロレスをいつやめられたんですか?
佐野 じつはね、いつやめたのかはわかんないんですよ。
──ハハハハハハハ。
佐野 何年か前に鶴見五郎さんの息子さんが何を血迷ったか「プロレスラーになる」と言いだして。息子さんはブラジリアン柔術をやってるから大丈夫だと。鶴見さん本人が大丈夫じゃないことを一番わかってるはずなんですけど。ブラジリアン柔術をやってるからプロレスができるわけないじゃないですか。そこはラーメン屋で働いてた人が急にうどん屋になるのと一緒で、同じ格闘技とはいえ全然違うもんなんで。
──鶴見さんの息子さんは、たしか30歳を過ぎてから頑固プロレスに入門してましたね。
佐野 そんなデビューする・しないっていう話があって、鶴見さんの息子さんが突然、国際プロレスの興行を打ったんですよ。2013年4月かな。で、鶴見さんがやった国際は2005年が最後の興行。森谷(俊之)さんがメインで入ってるんですけど。
──インディを支え続けたM資金の森谷さん。
佐野 あの8年後に、突如鶴見さんの息子が国際プロレスの興行をやったんです。そこで鶴見さんの引退試合があって。ボクは普通にフリーとして呼ばれて、メンバーは国際プロレスじゃない人がたくさんいて、メインは高木三四郎ですね。それがめちゃくちゃ入ったんですよ、お客さんが。そこまでボクは国際プロレスに籍があって……。
──そこまで在籍だったんですね(笑)。
佐野 まあ実質フリーで、どこからでも呼ばれれば出るって感じですけどね。
──00年代中盤には、静岡プロレスのエースだった時期がありましたよね。
佐野 あー! あったあった、静岡プロレス。山本(雅俊 )さんから「佐野くんに紹介したい人がいる」って静岡プロレス代表の稲木(良光)さん。当時クラシック音楽ではけっこう有名な方を紹介されたんですけど。稲木さんが「佐野さんをエースにして団体を立ち上げたい」と。
──それはすごいオファーですね(笑)。
佐野 ボクも「なんで俺なんだ?」って気持ちですけど。静岡から何度も来て話をしてくれて、めちゃめちゃ熱意があったんで。「佐野さんがエースで、佐野さんの周りのメンツで団体を作って行きたい」と。クラシック音楽のコンサートの演奏者が「なんでですか?」と(笑)。
――壮大な詐欺に巻き込まれるんじゃないかと(笑)。
佐野 それで実際に動き出して、旗揚げの記者会見は静岡県の県庁でやったんです。県庁ですよ(笑)。
──ハハハハハハハハ!
佐野 その静岡県庁の中に大会議室みたいなのがあって、そこで旗揚げ戦やると。
──県庁で旗揚げ戦ですか!(笑)。
佐野 その大会議室、けっこうデカイんですけど。東京からリング運んで、選手いっぱい連れていって。メインがボクとスタンガン高村さん。そのとき初めて高村さんに会って、ボクも名前をちょっと知ってるくらいだったんですけど。ケンドー・ナガサキさんの付き人だったのか、お友達だったのか関係はわからないんですけど、昔からアマチュアプロレスやってる方でめちゃくちゃ雰囲気のあるいいヒールの選手なんですよ。で、どこまで書いていいのかわかんないですけど、スタンガン高村さんは地元ではそれなりの企業の社長さんをやってる方で。
──地元の名士がヒール(笑)。
佐野 ボクは面識もない人とプロレスをやるの大好きなんですけど、高村さんとリングで戦って意気投合したというか。「あぁ、この人とは手が合うな」と。そこから静岡プロレスは数年近く活動してんですよ。
──どれくらいのペースで興行をやってたんですか?
佐野 2〜3ヵ月に1回くらいかな。県庁の旗揚げ戦が大盛況だったんですよ。そのすぐ1〜2ヵ月後くらいに修善寺のサイクルスポーツセンターで売り興行が決まりまして。
──静岡プロレスの売り興行(笑)。
佐野 覚えてるのはその場所まで車で行ったんですけど、山の上にあるんですよね。山の途中に俺のデカイ看板があるんですよ。「静岡プロレス来場!」みたいな。で、電車内の広告吊りにも俺がいたらしくて(笑)。
──ガハハハハハハハハ!
佐野 静岡の知り合いから連絡が来て「プロレスやんの? 車内吊りの広告を見たよ」って。
──なんというお金のかけかた(笑)。
佐野 静岡プロレスのバブルが来たなって思って。ボク、静岡の人でもなんでもないんですけど、全日本プロレスやDDT、ゼロワンが静岡で興行をやるたびにご当地レスラーみたいな感じで呼ばれて。
──静岡のご当地レスラーだと思われていた(笑)。
佐野 そうそうそう。で、稲木代表がまたチケットをけっこう売るんですよね。そんなわけで静岡プロレスはめちゃくちゃ順風満帆だったんですよ。
──ギャラもよかったんですか?
佐野 まぁ、そこまでベラボーにってわけじゃないですけど、ヨソと全然遜色ないです。
──なぜ佐野さんを抜擢したのかは……。
佐野 そこは最後まで謎なんですよ。その静岡プロレスの歯車が狂い始めたのは、代表が「自分も試合をしたい」と。
──あー、ありがちですね。
佐野 素人がリングに上がることの風当たりが、いまよりも厳しい時代だったので「やめたほうがいいんじゃないですか」と止めたんですけど、代表じゃないですか。我々としても静岡プロレスはいいマーケットだったんで、それで気を悪くして静岡プロレスをやめられても困るなと。それでやりましょうということになったんですが、試合中に案の定、どこか骨折したのかな。小仲=ペールワンのファイヤーバードスプラッシュで。
──受けたんですか(笑)。
佐野 そこから歯車が狂い始めて。稲木さんが地元の市長だか市議だかの選挙に出たんですよ。でも、通らなかくて。結局プロレスなんてやってたから落ちたんじゃないかという叩かれ方をされたりして。まあプロレスをやったから知名度も上がったんですけどね。それでなし崩し的に終わって。解散興行とかやったのかなぁ……。スタンガン高村さんは静岡プロレスで一旗あげかかった時期なので「なんとか続けたい」と言っていたんですけど。NEOレディースさんとか女子プロの興行をやるときも、ボクとスタンガン高村さんが静岡プロレス提供マッチとかやったりして。
──話を聞いても謎が深まりますね、静岡プロレスは。
佐野 活き活き塾以上にボクは謎でしたね。活き活き塾は裏側がわかってたんで謎ではなかったんですけど。
──稲木さんはお金を出して、あとはお任せだったんですね?
佐野 お任せでした。口も出さないし。
──何か野望があったわけでもない?
佐野 市議会だか市長だかわかんないですけど、それに出るための足がかりにしてたのか……。
──静岡プロレスを足がかりに(笑)。
佐野 いやいや、わかんないですけど(笑)。稲木さんとはいまでも仲は悪くはないんで。たまーにFacebookとかでお互い近況報告するくらいな感じなんですけど。こうして話をされるまで、静岡プロレスのことはすっかり忘れてましたけど。
──エースだったのに忘れちゃう(笑)。
佐野 はい(笑)。やっぱり23年間もいろいろとやってるので。それこそ静岡プロレス繋がりでピエール瀧さんと知り合って。ピエール瀧さん、スタンガン高村さんと同級生なんです。
──ああ、ボクもそれでスタンガン高村さんのこと知ったんだ。たしか瀧さんが静岡プロレス観戦に訪れた際に高村さんと再開して……。
佐野 静岡ローカルで放映していた『ピエール瀧のしょんないTV』に何回も呼ばれて。最初は子供が健康に生まれてくるっていう神社で安産祈願奉納プロレスをやって。
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