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「和術慧舟會」とはなんだったのか? 全国に支部を展開、多くのプロ格闘家を送り出し、「ケージフォース」や女子格闘技などのイベントを運営。PRIDEやK−1などメジャー団体にも影響力を与えていた格闘技集団を探る不定期企画。今回は
門脇英基さんと大沢ケンジさんに対談してもらいました!



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・和術慧舟會創始・西良典インタビュー「総合格闘技がなかった時代の話をしよう」

・語ろう青春の和術慧舟會!〜ゼロゼロ年代格闘技界の裏側〜




――
今日は日本格闘技界の礎を築いた和術慧舟會を語ろう!……ということで「門脇スペシャル」の開発者として知られる門脇さんと、大沢ケンジさんの対談を組ませていただきました。

大沢 慧舟會はホントに凄い集団だったと思いますよ。いまでも格闘技会場なんかに行くと、慧舟會の血筋の選手がたくさんいますからね。

門脇
 ……大沢とは話が合わないんですよ。大沢とずいぶん会話したことで、かなりの時間を無駄にしたなって思いますよぉ。

大沢
 開始早々何を言い出してるんですか!(笑)。

――
不穏な立ち上がりですけど、2人は長いお付き合いなんですよね。

大沢
 ボクがまだアマチュアの頃ですよ。ボクは慧舟會のA3というジムに通ってて、門脇さんは東京本部。A3にはプロが誰もいなくて指導者もいないし、本やビデオで技術を勉強するみたいな同好会レベルだったんですよ。その中で一番技術がある平田ってヤツが「東京本部に門脇さんという凄い人がいる」と。

――
噂の男だったんですね。

門脇
 なんもないですよ。

大沢
 「寝技が凄い」と。門脇さん、トイカツ(戸井田カツヤ )、塩澤(正人) の3人の寝技がヤバイと聞いていて。トイカツはどこからでも極めちゃう独自のタイプなんですけど、門脇さんはしっかり練られているというか、こうきたらこう極める、ああきたらこう極められる。塩沢は門脇さんの弟子みたいな存在で。

門脇
 戸井田はひらめきでやるタイプ。練習したことしか出せないのはボクと塩沢くん。

大沢
 ボクも考えるタイプだから、東京本部で練習をするようになってから門脇さんとファミレスでよく技術の話をしてましたよね。夜中から朝までずっと。

門脇
 ……ラーメン屋でUFOや幽霊が存在する・しないで言い合いになったことは覚えてますね。

大沢
 ハハハハハハハ! 門脇さんは「幽霊は存在する!」って強く言い張るんですよ。

門脇
 いまはもう大沢は適当な人間だとわかってるから不毛な議論は一切しないですけどね。あの頃はちょっと押せばボクの考えがわかってくれるんじゃないかと。でも、大沢は1ミリにも寄らずに朝を迎えたんですね。いま思えば本当に不毛な時間でしたよ。

大沢
 だっていないですよ、幽霊。

門脇
  いる。いないと物質自体は存在しえないので。素粒子とかも存在しえない。どういう形で存在しているのか。それはおそらく物理学者たちも答えを出せないんですよ。見えない世界があるという前提じゃないと存在しえないんですけど。

大沢
 俺は「アリをたくさん殺してるけど、アリの幽霊に恨まれるのか」っていう話をしたんですけどね(笑)。

門脇
 ほら、大沢はこうやって揚げ足取りをするんですよね。だから時間の無駄なんですよ。

――
幽霊の話はサスケさんあたりを交えてあらためて決着を付けていただくとして(笑)、門脇さんはどうやって和術慧舟會に入門したんですか?

門脇
 ボクは西良典先生がやられていた長崎本部の寮生だったんですよ。雑誌に「平成の松下村塾という作る」という募集があって。

大沢
 門脇さんはそういう言葉に惹かれるんですよ。吉田松陰とか好きそうだもんね。

門脇
 先生に惹かれたんですよ。

大沢
 吉田松陰も好きでしょ?

門脇
 まあ…………吉田松陰も好きだけどね。

――
ハハハハハハハ。長崎から上京することになったんですか?

門脇
 その当時、和術慧舟會として関東圏を統括していたのが久保(豊喜)社長で。久保社長から「東京に出てこい」と。そこから東京本部。

大沢
 当時の東京本部の雰囲気は凄かったですよね。 強くなること以外はどうでもいいみたいな人間ばっかで。まあ、みんなおかしい人間の集まりなんですけど(笑)。

門脇
 西先生も怖い方だったので長崎から逃げるように上京したところもあったんですけど。東京に来てみたら久保社長も西先生以上に怖い方で。

大沢
 ハハハハハハハ! 最初の頃はプロ練なかったので、一般練習にプロが混ざってましたよね。

――
当時は小路晃さんや宇野薫さんが活躍していたから、入門者は後を絶たなかったんじゃないですか。

門脇
 凄かったですね。狭い道場が芋洗い状態だったから、プロが蹴散らす感じで。「オマエらは何時までいちゃダメだ!」とか勝手にルールを決めて無理やり帰らせましたからね。

――
一般会員を追い出す道場!(笑)。

大沢
 そんな環境だから一般会員も強い人しか残らないんですよ。とにかく「強くなりたい」という高い意識のヤツばっかで。

門脇
 強くなりたい意識は高かったけど、人間として意識が高かったのかは別の話です。

大沢
 まあ、人間性は高くない連中ばっかですよ。学校のクラスでいうと、はしゃいでる奴らを教室の隅から睨みつけてるような人間が集まってましたね(笑)。

――
正直、通いたくないです(笑)。

大沢
 A3から出稽古に行くのもドキドキしましたからね。最初は試されるんですよね。若い奴、下の奴が「やりましょう」とスパーをやって。ある程度、手の内がわかったら「……じゃあ、やろうかあ」って上の人間が出てきて。

――
手の内を知ったうえで締めるわけですね!(笑)。

門脇
 格闘技道場ではよくある光景かもしれないけどね。ただ、練習メニューはまだ練られてなかったですね、当時は。 ボクがプロシューターになったときは、ヒザ立ちからしかスパーをやらせてもらえなかったですからね。

大沢 そうでしたね。

門脇
 させてもらえなかったというか、自分がやらなかったと言われれば、それまでですけど。試合のときは立った状態から始まるから「どうしたらいいんだろうな……」って戸惑いましたから。

大沢
 ボクがアマチュアで試合をして「レスリングをやらないと勝てないなあ」と思ったから、A3で見よう見まねでレスリングっぽい練習をしたんですよ。そうしたら「ウチはそういうのはいらねえんだよ!」って怒られて(笑)。ボクはけっこう新しいことを言うタイプだったので、パウンドありの練習をやろうとしたら門脇さんは反対しましたよね?

門脇 ……ボクもだいぶ洗脳されていたというか。

大沢
 ハハハハハハハ。

門脇
 そういう考えになっちゃってたんだろうなぁ。

大沢
 打撃の練習はそこまで文句は言われなかったけど、立ちからのスパーはダメでしたよね。

門脇
 そこは久保社長と守山(竜介)さんが拓大柔道部で培った考えなんでしょうね。

――
あの木村政彦先生を輩出した拓大柔道部!

門脇
 柔道だから立ち技もあるんですけど。ボクの想像ですけど先生方は打撃がある格闘技は経験してないのからかなあ、と。これは先生の批判ではないですよ。

大沢
 わかります。慧舟會の特色はとにかく練習量をやらされることなんですよ。あれが尋常じゃなかったんです、本当に。いまでもあそこまで練習をやらされるところはないと思いますね。大学の柔道部やレスリング部の練習をやらされてるようなもんですからね、そりゃあ強くなりますよ。アスファルトの上で手押し車をやらされるんですけど、軍手を持ってくるの忘れちゃったりすると素手でやらされて。終わったあとに手がボロボロになってたりしますからね。

――うわあ……。 

大沢
 門前仲町から大手町の平将門の首塚まで走って、帰りは電信柱ごとにジャンケンして肩車で帰ってましたからね。東京駅の脇を汗だくのガタイのいい奴が肩車で走っていくみたいな(笑)。

門脇
 当時の道場には「どんなに優れた技も三倍の力の前では無力」という文が貼られていたんですよ。久保社長が貼ったんでしょう。

――
フィジカル重視の現代的な発想ではありますね。

大沢
 門脇さん、強化練習やプロ連をよく休んでましたよね?

門脇
 ボクは固い意志を持って出ませんでしたよ(笑)。

大沢 ボクも全部出席はしなかったですね、キツすぎて。練習メニューもいろいろと変わって、顔面パンチありのスパーリングを週5回でやるようになったじゃないですか。壊れるという感覚がなかった。

門脇 
「防具をつけたほうがいい」という知識を持ってる人もいたかもしれないけど、万人には勧めてなかったね。自分のことを守るだけで精一杯(笑)。

大沢
 ハハハハハハハ。最近だと「ガチスパーはあんまりやらないほうがいい」って言われるじゃないですか。でも、言われるほど壊れないですよね。

門脇
 大沢が頑丈なんだよ(笑)。 

大沢
 いまだにそれが一番強くなる方法だと思いますよ。ヨソから出稽古に来た人もガンガンやってたじゃないですか。高谷(裕之)くん、宮田(和幸)さん、秋山(成勲)さん、HERO'Sの外国人や曙さんとか来てたし。

――
HERO'Sの外国人!(笑)。

門脇
 ロシア人のルスラン・カラエフもずっと来てましたよ。

大沢
 ヘビー級のルスラン・カラエフとボクらがスパーをやったりするんですよ(笑)。ルスラン・カラエフはガチガチにやるから、あるとき秋山さんが怒って。テイクダウンしてマウントを奪って制裁して。

――
キラー秋山!(笑)。

大沢
 ルスランは「ごめんなさい!」って謝ってましたよ(笑)。

門脇
 ルスランは悪い奴だから、ブレイクなのにやってくるんですよね。

――
タチが悪いですね(笑)。

門脇
 大沢も外国人とスパーやったとき、ブレイクになって相手が背を向けた瞬間におもいきり蹴っ飛ばしたでしょ(笑)。

大沢
 あったなあ!(苦笑)。熱くなって蹴ったあとに「やっちゃったあ……」と思ったんですよ。

――
修羅場になったとき周囲はどうするんですか?

大沢
 あの当時はスパーでケンカになっても周りは止めないんですよ。練習のルールを超えるようなことをやったら止めますけど、ルールの中でやってるぶんには「アイツ、熱くなってるなあ……」ぐらいで。首を絞めたりとか、変なことをやったらダメですけどね。

――
お互いのプライドがルールというわけですね!(笑)。

門脇
 ボクからすると治外法権で恐ろしいなぁと。ボクも怖かったし、止めることができなかった自分もいますよね。

大沢
 ヨソのジムで選手を壊しちゃうからクビになっちゃったような奴が最後に来るのが東京本部ですよね。

門脇
 各方面で「もう来ないで」と出禁になった奴が東京本部では落ち着いてましたね。

大沢
 「アイツ、あちこちでクビになってるらしいよ」「危ねえなあ」と言いながら受け入れて練習するんですよね。

――
東京本部のアウトロー耐性(笑)。
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