『THE OUTSIDER』のスターだった「朝倉兄弟」の弟・朝倉海インタビュー。RIZINデビュー戦は文句なしのインパクトを残し、5月福岡大会はRIZIN外国人で一番目立ってる男マネル・ケイプ戦が決定。その意気込みと格闘技に懸ける決意を聞いた。
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――朝倉海選手は『THE OUTSIDER』で活躍されてましたが、団体代表の前田日明さんはどんな方だったんですか?
――見たまんまですね!(笑)。朝倉選手の世代だと、前田さんの現役時代のことは知らないですよね?
朝倉 『THE OUTSIDER』に出るまで、前田さんの存在を知らなかったですね。親の世代からは「凄い人なんだよ」って言われるんですけど。
――じゃあRIZIN統括本部長の髙田延彦さんのことも当然よく知らない。
朝倉 髙田さんのことも正直あまり……タレントとしてテレビに出ていたときに初めて知って。髙田さんも昔は総合格闘技をやってたんですよね?
――いやあ、時代は変わりましたねぇ!(笑)。そんな朝倉選手にとって総合格闘技の象徴は誰になるんですか?
朝倉 小さい頃にPRIDEはよく見てたので、(エミリヤーエンコ・)ヒョードルや五味(隆典)さんとかですね。
――でも、PRIDEの影響でMMAを始めたわけではないんですよね?
朝倉 はい。俺は高校卒業する間近に総合格闘技を始めたんですけど。就職先はもう決まっていたし、とくにやりたいことや夢なんてものはなかったんですね。そのとき兄貴(朝倉未来)が先に格闘技を始めてて、ジム以外でもいろいろと試したくなったみたいで。兄貴から家の庭に呼び出されてスパーリングの相手をやらさせられて。
――実験台じゃないですけど。
朝倉 そうです(笑)。俺は小学校のときに空手と相撲をやっていたぐらいだったんですけど、兄貴は中学の頃も格闘技をやっていて、地元(愛知県豊橋市)では有名な不良だったんですよね。その兄貴が手加減なしでいきなり襲いかかってきて。
――ええええ(笑)。
朝倉 でも、兄貴のパンチをよけれたんですよね。
――凄い!!
朝倉 そうしたら兄貴から「オマエには格闘技の才能がある。格闘技をやったほうがいい」と言われて。そんな流れがあってジムにも通うようになったら、どんどん強くなって……という感じですね。
――朝倉選手もお兄さんみたいにケンカは強いほうだったんですか?
朝倉 いや、ケンカが強いっていうほどしたことはなかったですね。祭りとかで売られてやったことはありましたけど……。
――ガラが悪い土地ですね!(笑)。
朝倉 田舎だからヤンキーや暴走族が多かったんですよ(笑)。俺も『THE OUTSIDER』に出ていたからワルというイメージが強いかもしれないですけど、全然静かに生活してきていたので。
――今日始めてお話させていただきましたが、ビックリするくらいさわやかですよねぇ。
朝倉 ハハハハハハ。悪いことをやって捕まったこともないですし、全然アウトサイダーじゃないんですよ。そこは兄貴とは真逆の性格というか、悪かった兄貴のことをずっと見てたので。反面教師じゃないけど、不良にはならなかったです。
――そんなにお兄さんは悪かったんですか?
朝倉 もう悪かったですねぇ。地元じゃ誰でも知ってるような存在で。「朝倉未来の弟だ……」ってビビられるぐらい(笑)。兄貴のことを知ってる人間からは絡まれたことはなかったですね。
――ホイス・グレイシーは「兄のヒクソンは俺の10倍強い」と言いましたが、「俺の兄貴は100倍悪い」という(笑)。朝倉選手はMMAですぐに頭角を現したわけですが、スポーツは得意だったりしたんですか?
朝倉 スポーツは小さい頃から得意でしたね。自分で言うのもなんですけど、なんでもできて。でも、高校は美術部でした。美術部にカワイイ先生がいたので、その先生と話がしたくて入部したのが理由なんですけど(笑)。
――じゃあ、小学生の頃に空手と相撲をやってたくらいなんですね。
朝倉 そうですね。小学1年生の頃にわんぱく相撲の大会に出たら優勝しちゃったんですよ。そうしたら相撲の道場にスカウトされて、大会に何度か出たりするようになって。将来の夢は横綱だったりしましたね(笑)。
――朝倉選手の高校時代って地上波で格闘技が流れてなかったし、格闘技を触れる機会はなかったわけですよね。
朝倉 テレビではやってなくて。ただ『THE OUTSIDER』はDVDで見てたんです。
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