「ズンドコ・トラブル興行研究会」!! プロレス格闘技のウラに精通する書き手たちがマット界を騒がせたズンドコな事件を振り返ります! 今回はプロレスブログ「多重ロマンチック」の漁師JJさんです。



・ズンドコ・トラブル興行研究会
ダフ屋と興行師の哀歌!! 岩手水沢騒動<小泉悦史・編>
http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar1216955





アルティメットクラッシュ。プロレス界にそのワードが響いたのはアゴヒゲアザラシのタマちゃんが多摩川に現れ、SMAPの歌う「世界に一つだけの花」が大ヒット。タマちゃんを自然に返そうと白装束でやってきたパナウェーブ研究所が世間をにぎわすころだった。

新日本プロレスオーナー、アントニオ猪木はこう言った。「ドーム不入りなら(興行にかかわる選手、スタッフ)全員クビだ。どっちが強いのかが見たい」、「面白くなかったら全員ピラニアに食わせる、フッフフ」。

暗黒期と呼ばれた2003年。当時の新日本プロレスといえば、オーナー・アントニオ猪木の命により、新日本の選手が次々総合格闘技に踏み入れ撃沈。マッチメイクを担当していた上井文彦もこの状況を苦々しく思っていた一人だった。いつ何時誰とでもといえ、ほとんどの選手は突然のオファーでプロレスの巡業の合間を縫っての総合参戦。相手の対策もできず、そりゃ勝てるわけがない。

オーナーの意見は絶対。しかし状況を変えなければ。上井によれば、企画されたのは1・4東京ドームが終わりひと段落したときだ。「今までよそのリングで好き放題にコテンパンにやられてきたけど、だったらホームリングで逆にこてんぱんにやっつけてやりゃええ」(辰巳出版「「ゼロ年代」狂騒のプロレス暗黒期」より)。浮かんだ無垢な理想とアイディアは、新日本プロレスという舞台で総合格闘技をやればいいという企画だった。そうすれば事前対策も準備か期間も設けられる。きっとそうなるはずだった。



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