名前:石田三示(いしだ・みつじ)
政党:民主党
選挙区:比例南関東ブロック
生年月日:1952年1月27日
血液型:O型
座右の銘:身を捨てて公に尽くす
趣味:機械いじり(農機全般)
好きな食べ物:米
お気に入りの店:リサイクルショップ
─政治家を志す経緯は?
千葉の山村で一農民として生活をしていました。そんな所で高野孟さんや藤本敏夫(ふじもと・としお)さんなど、国の行方の方向づけをしている方々の議論の輪に入っていたことが大きかったと思います。酒を飲みながら一緒にいることで問題意識が出て、少しずつ自分が変わってきたのだと思います。
初めて政治に直接関わったのは、若井康彦(わかい・やすひこ)氏が千葉県知事選挙に出馬した時です。町づくりの観点から支援しました。若井氏は県知事選に敗れ、民主党から衆院選に出馬します。その頃から私は民主党とつながりができ、青木愛(あおき・あい)氏の後援会に関わっていくようになります。
─政治家になる前は農業法人の代表をしていたのですか?
高野さんが当時通っていた「鴨川自然王国」と、「大山千枚田保存会」の代表を務めていました。保存会での活動は、一般の農家と発想が違っていたと思います。周りと違うのは藤本さんや高野さんの影響が大きかったでしょう。
─東京から近い地域ですね。初めて農作業をする人にたくさん会ってきたと思います
農村、農業に入ってきた人は、「来てよかった」「また来たい」「想像していた世界と違って楽しかった」と感想を口にします。初めてくる人に対して閉鎖的にならず、間口を広げてあげることが「担い手」を生む筋道になりると思いました。筋道をつくった上で、制度を整えていくことの必要性を感じていました。
─「担い手」が少ないのは本気で農業をやろうとしても踏み出せない理由があるのでは?
生活ができる自信がないからでしょう。たとえば月10万円の所得を保障して、ある程度の農地が与えられ、田んぼを耕しながら何年かかけて生活するベースをつくるような取り組みはあります。半農半X(はんのうはんえっくす)という専業ではない農業、農村との関わり方もできつつあります。
今まで国は農業だけで食べる専業農家の育成をやってきました。農業大学に入り、キャベツ農家を育成し、農協が技術をサポートするような取り組みです。農家の長男が跡を継ぐ傾向があったのでうまくいったのかもしれません。しかし今は違います。都会育ちで農業を全く知らない人も農業に興味を持って農村に入ってくることも考えられます。もう少しハードルを下げて、農村や農業への間口を広げる必要があるかなと思います。
─民主党政権は作らないことに対して税金を出す減反政策をやめて、作ったときの赤字分を税金で補填する戸別所得補償制度を進めています。農業政策より社会保障政策に近いように感じます
秋の収穫期にいくらで売れるかを考えて春に植えたコメは植えません。春になったらカエルが出てきて、水が貯まったら田んぼに入って米を植え、次の一年間の暮らしが始まります。儲かる儲からないの話ではないのです。集落や担い手が見えない戸別所得補償制度ではいけないと思います。
─バラマキとの批判があります
ソ連崩壊以降のキューバは食料が輸入されなくなりました。危機的な状況になれば意識が高まり、税金を投入して食料をつくるような動きになります。日本でも"ギョーザ事件"がありましたが、一時的な騒ぎになる程度で危機感は薄いです。
有権者が食料や農業、農村に対して意識が低いままでは税金を入れるにしても合意を得るには難しいです。
─農業と直接関わりを持っている有権者は少ないように思います
農業問題は農業者の問題ではありません。食料の安全保障という観点からも、国全体、国民全体の問題です。いまだに「食料は海外からもってくればいい」という意見があります。国際的には人口が増え、食料が足りなくなることはみんながわかっていることです。輸出入の話も出るようですが、今日、明日は大丈夫という短期的展望の議論でしょう。政治は長期的に見ることができなくてはいけません。
長期的に見てみると、水や土地、森林は国際的な投機の対象になっている世界的な動きがあります。それらが農村に存在することはすごいことです。農村こそ日本の国際的な戦略地域と表現している学者もいるほどです。農村に税金を投入し、食料を作ることは当たり前の国策です。これからは、農業現場でやってきたものを伝えて、世論の支持を得るようにしていきたいなと思っています。
─これからの目標は?
夢があります。それは国会議員全員を田んぼに入れることです。
大山千枚田で活動していたとき、農水省の方を田んぼに入れるというイベントがありました。関東農政局の局長など20人ぐらいが来ました。イベントの後の懇親会で田植え経験について質問すると、全体の3分の2は経験したことがない人たちでした。この連中が田んぼの議論をしてもダメだなと思いました。
国会議員も同じでしょう。昭和初期の政治家であれば見たりしたことはあると思います。今はほとんど経験したことがないのではないでしょうか。始まりは実際に肌身で感じることからです!
「昼はいつもコレ!」
自分で作った長狭米(ながさまい)を炊いて秘書と一緒に食べているとのことです。
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