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【第29回】政治家に訊く:長島昭久

2010/03/15 17:29 投稿

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───────【基本情報】───────

名前:長島昭久(ながしま・あきひさ)
政党:民主党
選挙区:東京21区
生年月日:1962年2月17日
血液型:A型
座右の銘:命もいらず、名もいらず、官位も金も望まぬ者ほど御し難きものはなし。しかれども、この御し難き者にあらざれば、国家の大業を計るべからず。(西郷南洲遺訓)
趣味:ゴルフ、水泳、司馬遼太郎、水彩画
お気に入りのグッズ:虎グッズ
ホームページ:http://www.nagashima21.net/

───────【質問事項】───────

─政治家になろうと思ったのは学生時代ですか?

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 1979年、高校時代最後の冬に世界史を揺るがす大事件が起こりました。ソ連がアフガニスタンに侵攻しました。米ソ関係は緊張緩和に向かうと言われていた時代です。ソ連が攻め込み、イランでは革命が起こって長く続いた王制がひっくり返り、第二次オイルショックで日本経済も打撃を受けていました。私は高校から大学にかけての時期で、新聞を読みながら世界の情勢に興味を持っていました。世界が大変なことになっているのにも関わらず、日本の政治は40日抗争で福田派と大平派が内ゲバ状態でした。何をやっているんだという気持ちでした。そのとき国際関係をリードできるような政治家が必要だ、リードできるような政治家になりたいと思いました。もちろん学生時代でもありますので漠然としていました。

─学生時代はどんな子だった?

 ほとんど勉強していなかったです。クラブ活動を一生懸命していました。当時はやっていたディスコに行ってみたり、どこにでもいる平均的でやんちゃな学生だったと思います。

─直接政治に触れるきっかけは?

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 石原良純(いしはら・よしずみ)氏は私の同級生でした。彼の兄である石原伸晃(いしはら・のぶてる)氏が選挙に出馬するということで私にも選挙の手伝いをしないかという依頼がありました。ちょうど大学院生だった私はそろそろ政治に実際触れたいと思っていた時期でした。
 1990年2月の選挙でした。半年前の1989年7月から手伝い続けて、見事に当選しました。勝った後、スタッフにならないかという誘いを受けました。それから3年半、第一秘書として次の選挙まで過ごしました。

─秘書から留学に至る経緯は?

 政治改革ブームがあった1993年、秘書業務の後のアフター5は大前研一(おおまえ・けんいち)氏の平成維新の会に参加していました。実はその頃友人から「一緒に日本新党から選挙に出ないか」と誘われていました。ずいぶん悩みましたが結局出ませんでした。ふんぎりがつかなかったのです。「おれはこれをやりたい!」というものがまだ確立されていませんでした。
 秘書時代、選挙はたくさんの人を巻き込んでいくものだと実感していました。しかし自分にははっきりとした指針も、覚悟もなく、あきらめざるをえませんでした。挫折を味わい、秘書を辞めようと思いました。そして留学することを決意します。
 なぜかというと、日本には安全保障や外交を本気でやるような講座はありませんでした。本場の米国で勉強したいという思いがありました。ワシントンの大学に入学し、その後3年半ワシントンのシンクタンクに進むことになります。回り道ではありますが、米国での7年間にできた人的ネットワークは貴重に思います。

─防衛大臣政務官と野党議員で、変わったなと思う瞬間はありますか?

 野党暮らしは6年です。一番歯がゆい思いをしたのは、情報です。与党側に質問してもちゃんと答えてくれません。今は守る立場なのでよくわかりますが、質問されるとはぐらかします。
 私は沖縄の基地問題にずっと取り組んでいました。防衛大臣政務官に着任して早々、現行案に至る経緯を聞きました。最初の15分で、今までどうしても解けなかった問題が一気に明確になりました。
「何度も質問していたのに答えてくれなかったじゃないですか」
「そりゃそうです。政府に入っていただかないと情報共有できません」と言われました。
 私は本を書いていますが、ずっと解けない問題がありました。それはなぜ基地の移設先が辺野古に決まったのかです。決まった理由はたくさん聞いていたのですが、どうもしっくりきませんでした。どうも人為的に思えていました。それが着任して説明を受ける最初の15分で解けてしまうのです。「やっぱりそうだったのか」と思いました。
 情報をすべて聞いた上でないと政府は判断できません。

─それだけ情報がありながらうまく物事が進まないことがあるのでしょうか?

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 あるんです。これがポリティックスなんでしょう。
 つまり内閣の閣僚内で意見がまちまちです。米国側との交渉、地元沖縄との調整、連立政権内での話し合い、いろいろな思惑に加えてマスメディアの存在があります。全部悪いとは言いませんが、マスメディアは物事を成功させても面白くないのでしょう。情報を出すことで沖縄で火が噴く、米国が不信感を持ちます。そういうことで相互不信が生まれ、相互調整が破綻していきます。それは今までの半年間を振り返った反省点にもなります。情報統制ができれば簡単ですがそういうわけにもいきません。

─メディアとの関わりで印象的なことはありましたか?

 家の周りに不審者がいるという連絡が入ったことがあります。NHKの記者でした。初めての夜討ちです。

─どんな心境でしたか?

 ご苦労様といったところでしょうか(笑)夜中の1時までマンションの前にいるんです。初めての夜討ちはゾッとしましたよ。

─計画や方針は得られる情報によってかわると思います。野党時代につくった「沖縄ビジョン」と今の政府案との整合性はどのようにとっていくのですか?

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 いい質問ですね。ある程度は修正が必要かもしれません...

(続きは「《インタビュー》長島防衛大臣政務官:普天間基地移設問題 野党時代の「県外・国外」案は修正する」にて)

─ビジョンを変更するのであれば、修正するプロセスは公開しなければいけません

 オバマ大統領は「核のない世界」という言い方をしました。目指すけれども自分が生きている間に達成できるかわかりません、現実に乗り越えなければいけないハードルがあると言いました。同じように東アジア共同体構想、基地無き安保構想も理想として旗を降ろす必要はないけれど、現実にクリアしなければいけないハードルがあります。ハードルをきちんと国民に国会審議を通じて説明しなければいけないと思います。
 5月の終わりに結果が出ます。私は総理が決定に至ったプロセスをテレビの前で丁寧に演説すべきだと思います。それで理解していただけなければ仕方ありません。選挙で洗礼を受けるしかありません。私はある程度国民に理解していただけると思います。その前に連立政党に納得していただかないといけません。

─先週のNHKの番組「いま考えよう日米同盟」で日米問題が取り上げられ議論してました。はっきりしていそうでしていない「日米同盟のメリットとデメリット」について、長島大臣政務官が出演されたと仮定してお答え下さい

 メリットは少なくとも効率のいい安全保障が得られるということです...(続きは映像で)


 

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