名前:大島九州男(おおしま・くすお)
政党:民主党
選挙区:全国比例代表区
生年月日:1961年6月11日
血液型:0型
座右の銘:天道を生きる
趣味:温泉、読書
好きな食べ物:豚肉、ラーメン、うどん
お気に入りの店:キングハーベスト(港区赤坂)
ホームページ:http://kusuo-o.net/
─政治家になろうと思ったきっかけは?
もともと政治には関心がありませんでした。地元で仕事をしていて、周囲に推されて市議会に出馬したことが政治に関わるようになったきっかけです。
田中六助(たなか・ろくすけ)元自民党幹事長が家に来たことがあるように、私の実家は選挙があれば一生懸命応援するような家だったようです。北橋健治(きたはし・けんじ)氏や、宮田早苗(みやた・さなえ)氏といった民社党の方、新日鉄関係の仕事をしていたので関わりがあったようです。でもそれは高校時代のことで、私は東京にいましたから間近で見ることもありませんでした。
─日大卒業後、東京で仕事をすることは考えていなかったのですか?
父が鉄工所をやっていたのですが、実際どのような仕事をしているか知りませんでした。自分が大きくなるまで育ててくれた親の仕事を知らないことに疑問があり、年取ってから鉄工所の仕事が出来ないことはわかっていたので、若いうちに経験しておこうと2年間ほど現場にいました。製鉄所の加熱炉といって、鉄をつくる設備を製造していました。中国の宝山製鉄は最初、うちの炉を導入していました。全国どこでも新日鉄の加熱炉といえばほとんどうちの加熱炉が入ってます。
─国会議員になる経緯は?
市会議員を3期12年やった後、国会議員を目指す話がありました。しかし麻生太郎(あそう・たろう)元首相とたたかう衆院選に出るよりも、地元の市長選挙に出たほうがいいと言われていました。しかし松本龍(まつもと・りゅう)氏と仲がいい岩田順介(いわた・じゅんすけ)前衆院議員が引退するからということから、私が出馬することになりました。その時は「10年たたかえば麻生氏に勝てる」と言われていたものです。麻生氏はその当時総務大臣でしたから、そんな大臣とたたかう機会はなかなかありません。市長は60歳を超えても出られます。衆院選は今しかできないと思い、決断しました。
─立正佼生会とつながりが深いようです
麻生氏とたたかっているときに、何の要請もしていない私を立正佼生会のみなさんが応援してくれました。ある日選挙活動から帰ってきたら家に人がいっぱいいました。自主的に応援してくれたんです。それからのご縁です。
─突然応援をしてくれるものでしょうか?
実は昔から深い縁がありました。何かというと、出身校であるの日大二校時代、友達がいませんでした。その時仲良くなった友達の同級生が、立正校正会の大幹部の孫でした。その同級生と私は仲が良く、大聖堂に行ってオーケストラを聴いたりしていました。
驚いたのは、今の会長の次男、三男がみんな日大二校出身だったことです。三男は大学も一緒のようで、そういったご縁でかわいがってもらいました。
─浪人時代はどう過ごしていましたか?
朝6時に起きて、ビラを2000枚持って駅で配り、残りを団地で配っていました。そのビラには3日後の勉強会の案内が書かれていました。2000枚配って何人来ると思いますか。たったの4、5人です。そんな勉強会を月曜から金曜まで毎日やっていました。最終的な集客目標は5000人でした。それぞれが一人20票集めるてくれるようになれば、10万票になりますからなんとか麻生氏に追いつけるかと思っていました。そして最初の選挙が7万5千票でした。次の選挙では小泉旋風で大変な思いをしました。でも1万票差の9万票が集まりました。2回負けてハシゴを外されましたが、立正佼生会が拾ってくれ、2007年の参院選で私を全国区に出してくれました。
─総選挙で2度たたかった麻生氏とは、長年敵対関係なのでしょうか?
いやいや、地元では麻生開発のテニススクールの校長を15年務めました。もちろん選挙に出るときは役をはずされましたよ。収入はガタ落ちでした。500人ぐらい所属するテニススクールで大きい所でした。捨てるものは大きいのですよ。
たたかう人がいないからやるんです。私の座右の銘は「天道を生きる」です。人間には天に与えられた道があるんです。しっかり生きる、ただそれだけです。人がやることは人がやる、自分しかできないことをやるだけです。
─今夏7月に参院選があります。これからの動きを教えてください
自分に縁のある人をまわります。私が関わりの深い立正校正会、学習塾、私学、県の選挙区、中小企業団体中央会など結びつける仲人的な動きになります。自民党をずっと応援してきた私学や中小企業団体中央会などは注目です。党に関係なく、政権交代する以前からのつきあいのある団体をまわります。
─政党に関係なくまわるのですね
市会議員時代から、他党への挨拶は必要がないと周囲のみなさんから言われてきました。でも私は関係なくまわります。
─ブログで3月31日に可決した高校無償化法案について書かれています
高校無償化法案は、私が入ってきた2007年に...
>>続きは「高校無償化法案 議員が失ってはいけない地方視点」lへ
─自民党政権と比べて、世の中が変わってきた印象はありますか?
今までの政策は、国民に政治的関心を持たせないものでした。知識的に低いレベルに抑えておく、そうすれば自民党は勝てました。かつて森喜朗(もり・よしろう)元首相が「国民には寝ててほしい」と言いました。あれは愚民化政策ですよ。馬鹿にするというより、馬鹿にしてしまおうという発想です。今までは情報が統制され、大本営発表が続いてきましたからそれが可能でした。
今はそうではありません。みんな馬鹿じゃないから政権交代ができたわけです。
─日々メディアで取り上げれられてる日米関係はどう考えていますか?
日本の伝統文化、いいところが米国にとっては怖かったのです。それを壊すためにウーマンリブなどを入れて、天皇陛下のもとにまとまっていく国民性を家庭から壊していき、そこにのっかってしまっていまの状況ができあがっています。今までの政治家に責任があります。
憲法9条にしても、米国は自分たちの民族からすれば「目には目を、歯には歯を」の考えがあり、もし日本が軍事を持っていたら当然報復するだろうということでそれを持たせました。自分たちが守ってやると言って基地を置き、日本の監視をしながらソ連や中国への防波堤としていきました。これを60年続けてきたら、「なんて日本人は従順なんだ、こんなことしなくてよかった、それだったら日本にも軍事力を持たせてやろう」という動きが出てくるわけです。
私はそんな話が出るたびに、「60年かけてやっとその時が来た。武器を持ったら北朝鮮やロシアではなく、まわれ右をして米国に向かっていくんだ」と言っています。そうすれば米国は「憲法9条があるだろう、日本はしっかり憲法9条を守れ、他国からは自分たちが守ってやるから」と言いますよ。
─沖縄に置かれている米軍基地についてどういう考えを持っていますか?
必要ないと思います。負担の軽減という視点で、訓練については分散して行えばいいわけです。どうしても米国がヘリポートが必要というのであれば、どこか基地もどきのものを使えばいいのです。いざ有事の際になれば、羽田空港も成田空港も関係ありません。そういう観点でみれば、別に施設を整備する必要はないと思います。有事の際は高速道路だって飛行場になりますよ。小さいことでごちゃごちゃ言う必要はありません。不安を煽り、自分たちが守ってやるとか、自分たちは今までこうしてきたというマッチポンプがすごく大きいです。権力を持った人がそんなことをしてきたからダメなんです。前政権はその方法で票と金を集めてきました。
─これから大切にしたいことは?
自民党の先生から、「地元との関係をつなぎ止める最良の方法はなんだと思うか」と聞かれたことがあります。それは「要望だけ聞いて"やらない"ことだよ」って言われました。馬鹿にしてるでしょう。要望だけ聞いて、やってしまうと逃げていくという発想です。僕らはさせていただけることをして、感謝していただいたらそれでいいんです。要望してきた人のためでなく、国家、国民のためになると思ってやっていることがたまたまその人たちのためになっているということなんです。どこに心を置くかが大切です。
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THE JOURNAL編集部
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