衆議院段階で議論が消化不良のまま強行採決された安保法案は、参議院の審議によってますます意味不明の度合いを強めている。

なぜかと言えば、法案があいまいに作られている上、政府答弁が二転三転するからである。したがってほとんど質問と答弁はかみ合わない。かみ合わないまま審議時間だけが過ぎていく。

一見すると安倍政権が提出した安保法案は「まことにお粗末な法案」に見える。しかしそれを「お粗末だ」と批判するだけで阻止できるかといえば甘いかもしれない。安倍政権は当初から安保法案を意図的にそのように仕組んでいるかもしれないのである。

表で「国民の理解を得るようしっかり議論する」と言いながら、実は法案を誰にも理解できない内容にして国民の頭を混乱させ、理解できない答弁を繰り返すことで国民から合理的な判断能力を奪う目的かもしれない。

そう考える理由は、私が以前「フーテン老人世直し録」に書いたように、安倍政権が真似をしようとしているのが「ナチス」の手法だからである。2013年の参議院選挙に勝利して「ねじれ」が解消すると、麻生副総理ははっきりとそれを口にした。

改憲派の会合で麻生氏は、「ヒトラーは選挙で選ばれた。ドイツ国民はヒトラーを選んだんですよ。間違わんでください。そして、彼はワイマール憲法という当時ヨーロッパで最も進んだ憲法下にあって出てきた」と発言した。麻生氏はまず「ファシズムは民主主義から生まれた」ことを説明したのである。

次いで「憲法は、ある日気づいたら、ワイマール憲法が変わって、ナチス憲法に変わっていたんですよ。誰も気づかないで変わった。あの手口学んだらどうかね」と発言した。会場には安倍支持者しかいないと思ったのか、麻生氏は安倍政権の目的を正直に吐露した。つまり「ナチスの政治を真似ること」が安倍政権の目的なのである。

実際、ヒトラーは権力を握るとワイマール憲法の順守と国際的平和主義を宣言して国民を安心させ、一方で中央銀行総裁シャハトと組み、巨額の手形を振り出して経済を好転させ、経済不況に苦しむドイツ国民を救済した。そのまた一方、国会議事堂放火事件を口実に共産党を弾圧し、緊急事態を口実に全権委任法を成立させてワイマール憲法を骨抜きにした。

独裁権力を獲得したヒトラーの手法について、片山杜秀慶応大学教授は著書『国の死に方』(新潮選書)の中で、ヒトラーはスターリンのように敵を粛正して権力を一元化したのではなく、民主憲法に縛られる政府と全体主義的な政党(ナチス)の二元体制を作り、責任の所在と役割分担をあいまいにすることでドイツ国民の合理的な判断能力を奪い、独裁権力を握ったと解説している。

ヒトラーは新たな政策を次々に国民に提案し、新組織を次々に立ち上げることで国民に考える時間を与えず、さらにメディアを支配して共産主義者とユダヤ人が外国と手を組みドイツの転覆をはかっているとのプロパガンダを流す。そしてベルリン・オリンピックを最大限に利用することで独裁権力を掌握したのである。

麻生発言以来の安倍政権は、まさしく国民に考える暇を与えないほど次々に新提案を行い、また新組織を続々立ち上げ、さらにメディアの中枢NHKを人事で掌握し、中国や韓国を擁護するいわゆる「自虐史観」の日本人を敵として、憲法改正を伴わない憲法体制の骨抜きに乗り出した。

安倍政権の依って立つ権力の源泉は選挙で得た議席数である。したがって「民主主義は多数決」という論理を振りかざす。しかしヒトラー独裁を肌身で経験したヨーロッパで「民主主義は多数決」という論理を信奉する者はいない。むしろ大衆の支持する政治は民主主義を破壊する可能性ありと考える。「少数意見の尊重」こそが民主主義なのである。

ところが民主主義に未熟な日本では安保法案をめぐる対立が民主主義と立憲主義の戦いになった。安倍政権は選挙で多数を得たことを最大の根拠として安保法案を押し通そうとする。一方、反対する側は法案が憲法違反であることを根拠とし、憲法に従わなければならない政治家が憲法を無視することは許されないと反対する。

しかし麻生発言を思い起こせば、安倍政権にどれほど立憲主義や民主主義を訴えても聞く耳を持つはずはない。むしろ意図的に議論を混乱させ、意味不明にすることを使命だと考え、しかもそれを「日本国民の生命と安全を守る唯一の道だ」と本気で思い込んでいる可能性がある。

そして国民の法案に対する理解などなくとも、ヒトラーが国会放火事件を口実に全権委任法を成立させて憲法を骨抜きにしたように、日本周辺で国民に恐怖を与える事件が起これば、国民は簡単に操作できると考えるかもしれない。

私は25日の特別委員会を見て、安倍総理は論理で説得することを全く考えていないとの印象を強く持った。維新の党の寺田典城参議院議員との質疑で、寺田議員は長年秋田県知事を務めた経験から、日本の保守政治家の極めて常識的なものの見方を開陳し、安保法案に対する批判を展開した。

寺田議員の想いは、日本政治には他にやるべきことがあるのに、なぜ今こんな議論をしなければならないのかということである。現在の政治を寺田議員は「日本の国家は理性を喪失している」と表現し、「やるのなら憲法を改正するしかない。国民の理解がない法案は取り下げるべきだ」と安倍総理に迫った。

すると終始目をつむっていた安倍総理が「しかるべくご審議をいただき、議論が熟した時には採決をしていただきたい。民主主義なので決めるときは多数決だ」と応じたのである。それを聞いて私は「議論が熟す時など永遠に来ない」と思った。

安保法案ははじめから交わる議論をしていない。それが安倍政権の狙いなのだから永遠に交わることにならない。にもかかわらず採決をすれば日本国家は分断状態になる。分断国家に「抑止力」などあろうはずはなく、安倍政権は他国に「抑止力」を頼って自国を分断させた政権として歴史に刻まれることになる。

安保法案を議論する意義は「抑止力」を高めることでも「安全保障力」を強めることでもなく、米軍による占領体制を独立後も継続させられてきたこの国の実態を国民に知らしめるところにある。そうした視点での議論の展開を私は期待することにする。


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■田中良紹『国会探検』 過去記事一覧
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<田中良紹(たなか・よしつぐ)プロフィール>
 1945 年宮城県仙台市生まれ。1969年慶應義塾大学経済学部卒業。同 年(株)東京放送(TBS)入社。ドキュメンタリー・デイレクターとして「テレビ・ルポルタージュ」や「報道特集」を制作。また放送記者として裁判所、 警察庁、警視庁、労働省、官邸、自民党、外務省、郵政省などを担当。ロッキード事件、各種公安事件、さらに田中角栄元総理の密着取材などを行う。1990 年にアメリカの議会チャンネルC-SPANの配給権を取得して(株)シー・ネットを設立。

 TBSを退社後、1998年からCS放送で国会審議を中継する「国会TV」を開局するが、2001年に電波を止められ、ブロードバンドでの放送を開始する。2007年7月、ブログを「国会探検」と改名し再スタート。主な著書に「メディア裏支配─語られざる巨大メディアの暗闘史」(2005/講談社)「裏支配─いま明かされる田中角栄の真実」(2005/講談社)など。