作る側(その3)、食べる側(その4)の心得にふれてきた「禅と食」編もいよいよ最終回です。最後は、禅と沖縄のお話です。

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【結城登美雄の食の歳時記#39】食は“命の薬”「ヌチグスイ」(禅と食編・最終回)

道元さんが真剣に食を探求した背景には、当時の人間の心の乱れ、食の乱れがあったようです。生きるための食を軽んじ、動物以下の存在になっている人間の無様さを、怒り悲しみながら、『典座教訓』『赴粥飯法』の本を書き残したようです。現在の日本人が道元さんの目にどう映っているのだろうかと思うことがあります。もしかしたら、もっと悲しみを深くするのではないかと思ったりもします。ただ腹が減ったから食べればよい、というのではない。食欲の赴くままに食べてよいのか。目の前の食事を食べる前に、それが作られるまでにかけられた多くの手間と労力を考えよという道元さんの言葉がますます重い言葉として響いてくる時代になったと思います。

3年ほど前、沖縄北部のやんばる地方の過疎の村を訪ねたことがあります。そこで104歳になる長寿のおばあちゃんに長生きの秘訣を(ここまで361文字/1,032文字中)