小中学校の授業に「移動教室」という屋外活動がある。
消防署や博物館、名産品をつくる工場などを訪問する社会科見学で、教室から飛び出し、五感を使って学んでみる。地方では漁師と地引網をしたり、農家に泊まって土に触れたりと、自然の中で大人の仕事を手伝う体験が都市の子どもたちには新鮮に映るのだろう。
近年、統合教育が広がり、こうした授業に障がいを持つ子が参加するようなった。100人ほど生徒がいる学年では、身体の不自由な子が一人位はいて周囲もできるだけ移動教室に参加させたいと考えている。
この春は自治体や教育委員会の依頼で障がいを持つ子のケアを頼まれた。修学旅行でトラベルヘルパーを利用したいという旅行会社の相談も増えた。
鎌倉や京都などメジャーな観光地では、移動に車いすを使う生徒など、特別なニーズのある子どもや高齢な人や身体の不自由な人の受入体制が進んでいるが、民泊を行うような地方でバリアフリー対応が可能な施設は皆無に等しい。
先日、都心から車で2時間程の集落で農家民泊が盛んというので、役場に行って尋ねてみたが、そうした人たちの受入は全く想定していないという話だった。
農村の高齢化は都市部と比べてだいぶ進んでいて、日本の販売農家は、就労者の半数がすでに80歳を越えている。年金暮らしの超高齢者に食を委ねているのが現状だ。
だから、家もバリアフリー化されていてよそうなものだが、そうしたお年寄りは元気に暮らしているので障がいを持つ子の民泊先にあてはまらない。
役場の観光係の関心は、専ら民泊可能な農家の数を増やし、地域で100人の受入体制をつくることだ。その宿泊環境が整えば都市の需要にあい、もっと多くの生徒が来てくれるようになるという読みだ。ところが、農家側が一戸あたりの利用人数が減るのが心配で受入れ先を増やすことに消極的だという。しかも、こうした農家との交渉は農政係の担当だから話が通じにくい。これでは、その先にようやく可能性がでてくる障がいを持つ子たちの学習機会は遠のくばかりだ。
不登校や引きこもりなど、心の病は、都市だけで解決できる問題ではない。
都市が教えてくれるのは、最少の努力で最大の成果を上げる便利な暮らしだろう。エネルギー技術ならそれもありだが、効率主義に偏重した生き方で人は元気になれない。
リハビリテーションの世界では、バリアフリーの環境をあえてつくることがある。普段の暮らしはバリアだらけなのが当たり前だからだ。ある種の不自由さを克服すること、むしろ最少の成果のために最大の努力を惜しまない生き方に、人としての成長もある。
以前、添乗で行った京都の薬師寺は、消失してから400年になる金堂の再建費用を当時の高田好胤管長が一人千円の写経勧進で募った。大企業が大金を寄付してくれたら楽にすむものをあえて断り、一人一人の心を集める為に全国を行脚したと聞いて感動した。
自然は理不尽である。無駄にも見える。しかし、その理不尽さを知ることは、実は生きていく上で最も合理的な学びだと思える。無駄の意味を都市が教えてくれることは少ない。
農村は今も、後継者不足が続いている。これまでのような我関せずの姿勢では済まない。すそ野の広い観光は教育だけでなく、環境、健康とも密接にかかわるようになった。
互いの課題を解決するには、さまざまな繋がりが必要で、縦糸、横糸さらに斜めに人をつなぐこと、都市と農村をつなぐのはツーリズムの役割だと思う。
【篠塚恭一(しのづか・きょういち )プロフィール】
1961年、千葉市生れ。91年(株)SPI設立[代表取締役]観光を中心としたホスピタリティ人材の育成・派遣に携わる。95年に超高齢者時代のサービス人材としてトラベルヘルパーの育成をはじめ、介護旅行の「あ・える倶楽部」として全国普及に取り組む。06年、内閣府認証NPO法人日本トラベルヘルパー(外出支援専門員)協会設立[理事長]。行動に不自由のある人への外出支援ノウハウを公開し、都市高齢者と地方の健康資源を結ぶ、超高齢社会のサービス事業創造に奮闘の日々。現在は、温泉・食など地域資源の活用による認知症予防から市民後見人養成支援など福祉人材の多能工化と社会的起業家支援をおこなう。
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