我々高齢者は、今生きていることの意味を、自覚するか、自覚しないかで、生き方の幅が広がりもすれば、狭められたものにもなる。今生きているといっても、皆がみなすべて存在する、否、存在させられたものは、必ずある時期には、その存在性を失ってしまう。生まれるときも、死ぬときも、自分の意志で何とかなるものではない。自己意志判断を除けば、ある限られた時間を、自由意志によって行動するように義務付けられた存在が、私たち人間と見て取れる。 大きな可能性は、年代とともに変わってくるのは当たり前であるが、老齢化し、存在性を失うときが迫ってくれば来るほど、今現在をどのように生きるかは、極めて大切である。さまざまな理由付けによって、無為に時を過ごし、逆に人間関係とか、社会に不満を抱くのみの高齢者は、生きることの意味を理解しない、自覚しない老害者になりかねないと、他人事でなく私事であると、肝に銘じたい。
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THE JOURNAL
(ID:18367902)
我々高齢者は、今生きていることの意味を、自覚するか、自覚しないかで、生き方の幅が広がりもすれば、狭められたものにもなる。今生きているといっても、皆がみなすべて存在する、否、存在させられたものは、必ずある時期には、その存在性を失ってしまう。生まれるときも、死ぬときも、自分の意志で何とかなるものではない。自己意志判断を除けば、ある限られた時間を、自由意志によって行動するように義務付けられた存在が、私たち人間と見て取れる。
大きな可能性は、年代とともに変わってくるのは当たり前であるが、老齢化し、存在性を失うときが迫ってくれば来るほど、今現在をどのように生きるかは、極めて大切である。さまざまな理由付けによって、無為に時を過ごし、逆に人間関係とか、社会に不満を抱くのみの高齢者は、生きることの意味を理解しない、自覚しない老害者になりかねないと、他人事でなく私事であると、肝に銘じたい。