季節はずれの時候に辟易すればするほど海好きのひとりとしては、陽光まばゆい伊豆半島は下田あたりで太平洋をのんびり眺めていたいものでした。

 そんな下田は、1855年に国境線をいわゆる北方領土より北に位置する得撫島(ウル ップ島)との間に引く「日露通好条約(下田条約)」調印の舞台で、関心の軽重さはさておき、日ロ外交史をきざんだ貿易港でもあります。

その日ロ両国間には戦後67年を過ぎながら「平和条約」に結びつけにくい微妙な国境 (くにざかい)が横たわり、それゆえ、総理たるあなたが打開に向けご意欲を露わにな さるのを民びとはよく理解してきたはずです。

有意な財界ミッションを率いてクレムリンに乗り込む過程も、かの地と深く係わる北海 道に暮らす私たちには多いな期待に値しました。

しかし、しかしです、10年以上も前から大統領だったプーチン氏が下田でのちぎりを 起点にすれば160年近くを迎えようとするいまなぜ、以降1世紀あまりを経たのちの 「日ソ共同宣言」に明記した歯舞・色丹2島の引き渡しの有効性を再確認すべき交換文 書「イルクーツク声明」にあえて会談で明確に言及しない意図をさぐってこそ、わが国 の平和時における健全な首脳外交の起点で要諦でもありませんか。

加えて、王制支配の是非さえ問われだしたサウジアラビアとUAE(アラブ首長国連邦 )へ歴訪を続けられた総理、よりによっての原子力発電のトップ・セールスをいつどう いう形で広くあまねくの自国民にマニフェストされておられたか、馬齢のみいや増す私 は寡聞にして存知かねます。

ぜひ、お示しいただければ幸いです。

ご体調に留意され日々、主権を有する国民のためご精励を。