要介護高齢者の外出支援を専門とするトラベルヘルパーの育成をはじめて20年になる。超高齢社会を迎えた日本より一足先に旅行客の高齢化がはじまっていたのがきっかけだった。
身体が不自由な人が一番にしたいことは、なんといっても「おでかけ」だという。友人と好きな映画を見て、陽だまりのカフェでお茶を飲む。そんな他愛もないこと、いつでも自由にでかけることができることがとても特別なことだという。
山倉さんは「おでかけ」150回のベテラン、普段は多摩川に近い介護施設に暮らしている。8年前から月に1〜2度、トラベルヘルパーを利用した車いすの「おでかけ」を楽しんできた。
はじめの希望は「自分の家に帰りたい」という短時間の外出だった。施設から自宅までは、わずか数キロ、車なら20分足らずの距離にある。
しかし、それが難問だった。施設ではスタッフの利用が限られているからと断られ、年老いた妹に頼むわけにもいかない。新しい暮らしになじめず、希望を失いかけていた。私たちの出会いは、そんな時期だったと思う。
不自由になった身体でも自宅で暮らせるように改造する。その準備のための一時帰宅を希望していた。一日も早く病を克服し、もとの暮らしをとり戻したいという一途な願いだった。
もともと旅が好きで、定年を迎えてからは一人で海外旅行も楽しんでいた。しかし、60代半ばに倒れ、介護サービスがないと生活できなくなった。
だから、もとの家に帰ることは、一人暮らしの山倉さんでは無理だった。それを知る周囲は何度も諭したが、本人の心は萎えなかった。人一倍リハビリに励み、さらに訓練メニューを増やしたいという希望がストレスになっていた。
それから、2度ほど家に帰ったが、だんだんそれも難しくなったことを本人も理解し始めていた。
それが転機になった。行くことができなくなった国の料理を食べに出かけしようと決めていた。半日ばかりのお出かけだが、たいそう気分転換になる。次のお出かけ先を考えること、自分なりに調べることが楽しくなった。旅行番組のチェックも欠かさない。カレンダーに印をつけ、その日が来るまでリハビリにも熱がはいった。今は、話題の足こぎ車いすに夢中だという。
介護が必要な人にとっては、ちょっとしたおでかけでさえ非日常の世界となる。「憧れ」という人さえいる。まして、行先が住み慣れた自宅や故郷だとしたら、思いは強くなるばかりだ。
梅が薫れば、桜の便りが待ち遠しくなる。おでかけ日和が続けば、旅の季節がはじまりを告げている。
【篠塚恭一(しのづか・きょういち )プロフィール】
1961年、千葉市生れ。91年(株)SPI設立[代表取締役]観光を中心としたホスピタリティ人材の育成・派遣に携わる。95年に超高齢者時代のサービス人材としてトラベルヘルパーの育成をはじめ、介護旅行の「あ・える倶楽部」として全国普及に取り組む。06年、内閣府認証NPO法人日本トラベルヘルパー(外出支援専門員)協会設立[理事長]。行動に不自由のある人への外出支援ノウハウを公開し、都市高齢者と地方の健康資源を結ぶ、超高齢社会のサービス事業創造に奮闘の日々。現在は、温泉・食など地域資源の活用による認知症予防から市民後見人養成支援など福祉人材の多能工化と社会的起業家支援をおこなう。
コメント
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全ての物事は、その人が見るようにしか現れない。その人の心に柔軟性がなければ、物事全てが、悲観的な材料、ストレスにしかなりません。昔から、「人生は旅である」といいますが、固定化しがちな心を旅することによって、解きほぐされることが多い。むしゃむしゃするときに旅すると、すっきりした気分になるのは、何人にも共通した気分転換の良薬なのでしょう。心のケアはきわめて難しく、己を知り、物事の本質真理を自覚した人でない限り不可能であり、凡人には、旅が一番の解決策なのでしょう。これから一番大切になる介護ではないでしょうか。
(ID:33688285)
tsutomizuさん コメントありがとうございました
日本の制度で行われる介護保険制度は、予算の都合と思いますが身体ケアが中心です
自費か制度かは、別にして少なくとも生きがいへの選択肢が確保されていることは必要と思います
介護も障がい者サービスも、情報のバリアが一番大きです
自分がもし介護を必要とするときには、こうしたメンタルの介護も含めて理解が深まっているといいと思います