人生に「タラレバ」は禁物というが、もしコロナ禍がなく、この夏予定通りにオリパラが開催されていたなら、ちょうど今頃は二つの大会の合間、オリンピックで盛り上がった勢いに乗って、選手はもとよりパラリンピック関係者はみな準備に忙しくしていただろうと思う。
そんな来年を想像すると外出自粛で沈んだ気持ちも少しは明るく思える。
この大会にあわせて東京都をはじめ競技会場のあるホストシティでは、宿泊や飲食、交通アクセスを含めて、さまざまなバリアフリー化への工事が進められてきた。スポーツを誰でも楽しく鑑賞できるようにしようと、またそれらを超高齢者社会のレガシーにしようという取り組みだ。
真新しい会場、アクセシブルなスタンドでの生応援を私も楽しみにしてきた。
もっとも競技の多い有明周辺では、IOTを活用した自動運転など、市中試行されている新交通システムや5G中継によるスマホ観戦など、体が不自由で移動に支障のある高齢の人などもデジタル技術の進化で新しい応援スタイルが試みられようとしている。
また、パラアスリートをサポートする福祉機器の開発や機能を向上させる訓練方法は、データ化され、練習スタイルも格段に進化していると聞いている。そんな技術が支える未来を感じてみたいと思った。
1964年に開催された東京オリンピック第18回大会は、93の国と地域、5,152人の競技者が参加した。第二次世界大戦前の1936年、ナチス・ドイツによって開催された第11回ベルリン五輪の49か国と比べて約2倍になっている。戦前は参加国も豊かな欧米諸国に限られたから、戦後初のアジアでの開催は、復興と平和を願う日本への期待を込めて国際的にも関心が高まっていたのだろうか。
この東京大会にあわせて新たに建造された国立競技場、日本武道館、駒沢オリンピック公園、代々木の岸記念体育館などの競技会場は、50年を過ぎた今日まで観光施設としても立派にその役割を果たしてきた。
また、東海道新幹線、東京モノレール、羽田(東京国際)空港、首都高速道路、環状7号線、六本木通りなどの交通網が整備され、後の高度経済成長を支える社会インフラとなった。さらに、オークラ、ニューオータニ、ヒルトン、プリンスなど名だたるホテルが建ち、世界中の人を迎える首都の顔として観光の街東京を彩った。
第32回東京大会は来年へ延期となったが、オリンピックでは206の国と地域、参加者は12,000人以上になるという。第18回大会の2倍以上の規模だ。64年のパラリンピックは22か国の参加で選手は375人だった。来年は4,400人の参加を予定しているというから10倍以上の規模となって開催される。
これにともない、すでに多くの競技施設はユニバーサルデザイン・バリアフリー化の工事が済んでいる。私もリノベーションされた代々木競技場体育館などを訪ねたが、会場は車いすユーザーの観覧席も拡張され、トイレなどの付帯設備もゆったりと使いやすい作りに変わっていた。また、最寄りのJR原宿駅はリニューアルされ、周辺の地下鉄から車いすを使用したアクセスも良くなっていた。競技会場が集まる臨海地区も、羽田空港や東京駅からのアクセスが便利になっている。地方の会場も含めて、新たに整備されたこれらのハードウェアは、全ての人に大会を楽しんでもらおう、というアクセシブルガイドラインが定着してきたと評価できる。
一方、パラアスリートと似た障がいを持つ人やファンの間では、応援する側の期待がある。
4K、8Kを用いた映像や音響技術を組み合わせたライブビューイングなど、これまでにない臨場感を味わえるという。また、移動が困難な人や真夏の開催で熱射病やゲリラ豪雨などの天候を心配する人も少なくない。こうしたデジタル技術を用いた観戦の仕方は、高齢者などへ体に無理のない新たな応援スタイルを示してくれている。また、360°カメラによる自由視点映像や5Gによる移動通信システムは、スマホ観戦の質を格段に上げるというから、障がいの有無にかかわらず場所と時間にとらわれないスポーツの楽しみ方を体験できる。他にもAIやロボットが道案内や多言語通訳の役目を果たしてくれ、そこには手話映像も入るというから、オリパラ開催で世界にお披露目される日本の技術もレガシーとなることは間違いなさそうだ。
さらに全国に広がった各国選手団のキャンプ誘致、特にパラスポーツの選手団を受け入れているホストタウンでの活動も地方創生の流れと重なり活発に行われてきた。これまで接することのなかった障がいを持つアスリートとの交流は、学生ボランティアの育成など「心のバリアフリー」教育の浸透に実績をあげている。これらのプレイベント体験から得た学びは、これから長く続く高齢者社会の様々な場面で活かせるはずで決して無駄にはならない。オリパラ開催は、共生社会への理解をすすめる上で大きな教育としての役割を果たしていると思う。
最近はSNS上の「自粛警察」をはじめ、緊急事態宣言に応じない人や店を身勝手な正義感でバッシングしたり、県外ナンバーの車両を見つけては傷つけたりする極端なことも起きているそうだが、こうした非常の時だからこそ、改めて共生社会について考えてみたらいいと思う。
私は旅と介護、教育の仕事に携わっているが、感染症よりもその影響で人の気持ちが他を受け入れずに狭くなっていくことを心配になる。これまで進んできた交流からの学びが後戻りといか、交流を望まない人の気持ちが大きくなっていきそうで怖い。こうした状況が続く限り、旅はおろか外出する気持ちさえ萎えていく。
すでに大打撃を受けている観光関連の産業では倒産や廃業が進んでいる。雇用不安が広がり、業界を支えてきた働き手が他の業界へ移り始めている。このままでは未来を支える優秀な人材がいなくなってしまうのではないかと不安に思う。
自由に外出できない、移動と交流を制限されている閉じた環境は人を不安にさせ、ストレスと同時に他への偏見や差別という感情を育むことがわかった。それは感染への恐怖感から生じる防衛本能の裏返しかもしれないが、コロナ禍で職を失った人の貧困や生活困窮は社会の崩壊に直結する。長く続く移動制限は、その人の経済とともに人間の心と体を蝕んでいく。他の人を受け入れなくなる感情の変化は決して他人事ではなく、いつ誰に起きてもおかしくないと実感する。こうした負のスパイラルをなんとしても止めなければならないと思った。
一方で、自粛期間は医療に従事する人をはじめ保育、介護、農業などの一次産業を支える人、小売商店、デリバリーなど、日々の暮らしを支えてくれる人の存在に感謝することが増えた。人は一人で生きていけないと言葉でわかっていても、皆で支えてくれる社会、子供や家族を守ってくれるコミュニティのあることのありがたさを改めて実感する日々でもあった。
46億年前に誕生した地球の中で30億年前にはウィルスはすでに存在したという。ヒトの祖先ホモサピエンスの存在は約20万年前というから、地球上では人間の方が新参者と理解すべきだろう。この半年に及ぶ外出自粛は、そうした人が自然に対して謙虚になれと言われているようにも思えた。
人間にとっては不都合な自然のウィルスとも共生しなければならないとすれば、感染した人を隔離するという言い方は見直して、例えば感染した人が安心して療養できる場所を旅のユニバーサルデザイン化で実現できないだろうかと思う。
ウィルスには免疫力を上げて耐性を高めることがいいというから、温泉湯治や転地療法はそれに通じる旅行療法だという医師もいる。そうした場所を探せば、都市から少しでも離れた地方の田舎にはたくさんある。
三月ほど前、田舎に暮らす知り合いに電話をかけてみたときは「東京は大変そうだが、こっちはいつも変わらない」、少し前に田をお越し、竹の子が出る頃には育てた苗をみんなで植える。コロナ騒ぎもこちらには関わりない、と話していた。
自給自足の田舎暮らしはすぐには無理でも、デジタル社会のインフラを借りれば、旅人としてなら一時的に地方で過ごすということは可能だ。それなら地元の人たちも歓迎してくれるだろう。この際、給付金の10万円は自己投資して、テレワークでできた時間を有効に活用して、もう一つのスキルを身につける時間にあて、地方で過ごすというのはどうだろうか。
それも無理なら、バーチャル旅行という手もある。個人的には、旅はリアルでと決めているが、移動と交流が制約される中、あらためてこれから何をしようかと「旅のチカラ」を考えてみるのもムダではない。
【篠塚恭一しのづか・きょういち プロフィール】
1961年、千葉市生れ。91年株SPI設立代表取締役観光を中心としたホスピタリティ人材の育成・派遣に携わる。95年に超高齢者時代のサービス人材としてトラベルヘルパーの育成をはじめ、介護旅行の「あ・える倶楽部」として全国普及に取り組む。06年、内閣府認証NPO法人日本トラベルヘルパー外出支援専門員協会設立理事長。行動に不自由のある人への外出支援ノウハウを公開し、都市高齢者と地方の健康資源を結ぶ、超高齢社会のサービス事業創造に奮闘の日々。現在は、温泉・食など地域資源の活用による認知症予防から市民後見人養成支援など福祉人材の多能工化と社会的起業家支援をおこなう。
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