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 前々回の「よみがえる廃校」冒頭で引用した「『戦後の心』を教わった白いペンキの木造校舎」を書いたのは福岡在住のフリー記者・竹島真理さん。昭和27年、村の年寄りから子どもまで、みんなで「地つき」をして建てた大分県日田市の小山小学校は、彼女の母親の母校である。

 校舎に使う用材は、村の山持ちたちが「うちの山の木をどうぞ」と寄付。地元の伐り山(きこり)が山に入って伐採。そして「どんだ引き」という方法で、束ねた木を牛に引かせて山から下ろすのだが、それを請け負ったのは竹島さんの曽祖父だった。校舎の建て替えが始まった昭和27年、竹島さんの母親は5年生で、その弟の叔父は3年生だった。

 竹島さんの祖父は昭和19年にサイパンで戦死していた。そのとき母親は2歳で、叔父はまだ祖母のお腹の中だったという。つまり、曽祖父は、戦死した息子の替わりに、孫たちの通う学校のために「どんだ引きは私がやりましょう」と申