今朝の毎日新聞2面「発信箱」で、論説室・玉木研二記者が「文部官僚の号泣」と題して、1947年3月の帝国議会衆議院「教育基本法案委員会」の模様を伝えている。

 教育基本法案はすでに通過し、6・3制を中心とする学校法案がまわってきたとき、校舎や学用品はそろうのかとの委員の質問に対して、答弁に立った文部省学校教育局長が教科書も満足に子どもたちに与えられない窮状を嘆いて5分間言葉を失い、ついには号泣したのだという。

 『よみがえる廃校』(「増刊現代農業」11月号および「ざ・こもんず」10月25日)で追求した「敗戦直後の教育再生」に深くかかわる話でもあるので、「国会会議録検索システム」で調べてみたら、以下引用のように当時の様子がリアルに伝わってきた。

○日高第四郎政府委員 (前略)これらの點において、非常に現在の日本の教育内容というものが貧弱であるということは、殘念ながら認めなければならない