性別 男 年齢 37 お住まい 神奈川県 職業 職人 1.参加(視聴)の動機(目的)は何ですか? 平和とは天国とか浄土のような高度な次元のものではない。 平和維持のためには、人脂のべっとりつくような手練手管、 時には犯罪まがいの脅しも必要になる。 そんなことを司馬遼太郎が書いていたような・・・ さあ平和維持のために立憲的改憲ではどのようなことをやろうというのでしょうか? 2.今回のゴー宣道場の感想をお聞かせください ① 第1部について とにかく「やべぇなぁ・・・」というのが正直な感想です。 護憲派が聖典・コーランのように扱っている9条というのがそもそもここまでグレーなものだと、 駒村教授の言葉をお借り頂けるなら、後ろ半分丸裸の貧ぼっちゃまだと。しかし、貧ぼっちゃまのような恥じらい或いは自覚がないと。 ここまでやべぇのか・・・と。 そして例え誤魔化しという砂の上の楼閣だったにせよ、それで70年以上やってきただけに、 それを崩したら崩したで、さらに様々なアフターケアがいると。 こりゃやべぇなぁ・・・と。 つまりは、改憲とは9条一つとってもこれだけ途轍もない、途方もない大事業だと。 相当な根気と覚悟が要って、もっともっと議論の場や啓蒙が要るのではないかと、 こりゃやべぇんじゃないか・・・と。 (今回の話聞いたら、安倍改憲なんてマジでナメているとしか思えない) で、今までずっと曖昧あやふや、うやむやナアナアにしてきた[戦力]。 そりゃ漫画みたく日本全土をカバーする絶対防御バリアみたいなものでも持ち出してこなければ、 いつか必ず誤魔化しきれなくなってくる、無理が出てくるのは当然、自明の理。 しかし、その現実にしっかり向き合い、向き合わせていかなければならない。 白黒はっきりさせないと先に進まない。 一切誤魔化さずにはっきりとさせることで、何が足りないのか、何が必要なのかが明確となり、 現実的に具体的にどう手を打っていけばいいか、 貧ぼっちゃまはどうすればまともな服装ができるのかという段階に進められるというわけで、 (パッと見キマっているように見えて、実はめちゃくちゃ無防備な貧ぼっちゃまとは、 他に考えつかないくらい絶妙な例えだと、心底唸らされました。) そういう議論の段階に進むためにはどうやったらいいか? 戦後70年でここまで伏魔殿みたくなっているとなると、やべぇ難題になりそうだなあ・・・と。 (←ただ、『新・堕落論』を拝読しましたが、堕落からの覚醒こそが健全ですが、 堕落の果てに・・・なんてこともあるのでしょうか?なんて思ったり) だからってやべぇやべぇで怖じ気づいていたら、安倍政権の思うがままにされてしまうわけで、 それが一番やべぇことには変わらないわけで、 一歩ずつでも前進していくしかない、やるしかない、立ち止まるわけにはいかない。 そう思ったら一発目の今回でここまで本質論的に問題が示されたのは、 今後の議論の質の高さを、立憲的改憲の質の高さを保証するということで、成功と言っていいものと思います。とりあえずは。 大変に思えることでも、とりあえず問題提起された。議論の俎上に乗っかった。 これ即ち解決への第一歩と考えれば、やってやれないことでもないのではないか、みたいな。 安倍改憲をまな板に乗っけて、日本の、日本人の精神の丸裸のところを指摘し、問題提起し、追及していけば・・・とか。 そうすると、これはやべぇほど面白い展開になってきそうで。 問題をクリアしていく喜び、新しいものを発見していく歓び、 形而上にあるものを形而下に具現する悦び、 仕事であれ、趣味的なものであれ、創造するということ、何かを前に進めようとすることは、 人が人間となる根源的で本能的な欲望であり、それ即ち人間の実存となるわけで、 トテカンカンなんて聴こえてこなくなるわけです。 私も研究者ですから、この何モノにも勝るこの快感をゴー宣道場で見ていくことになっていくという予感・期待を持たせて頂いたことは、 この上ない慶び!やべぇぜ! まあこんな感じです。まだありますが、もういい加減にします。 第2部以降は、これから視聴します。
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ゴー宣ネット道場
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性別 男 年齢 37 お住まい 神奈川県 職業 職人
1.参加(視聴)の動機(目的)は何ですか?
平和とは天国とか浄土のような高度な次元のものではない。
平和維持のためには、人脂のべっとりつくような手練手管、
時には犯罪まがいの脅しも必要になる。
そんなことを司馬遼太郎が書いていたような・・・
さあ平和維持のために立憲的改憲ではどのようなことをやろうというのでしょうか?
2.今回のゴー宣道場の感想をお聞かせください
① 第1部について
とにかく「やべぇなぁ・・・」というのが正直な感想です。
護憲派が聖典・コーランのように扱っている9条というのがそもそもここまでグレーなものだと、
駒村教授の言葉をお借り頂けるなら、後ろ半分丸裸の貧ぼっちゃまだと。しかし、貧ぼっちゃまのような恥じらい或いは自覚がないと。
ここまでやべぇのか・・・と。
そして例え誤魔化しという砂の上の楼閣だったにせよ、それで70年以上やってきただけに、
それを崩したら崩したで、さらに様々なアフターケアがいると。
こりゃやべぇなぁ・・・と。
つまりは、改憲とは9条一つとってもこれだけ途轍もない、途方もない大事業だと。
相当な根気と覚悟が要って、もっともっと議論の場や啓蒙が要るのではないかと、
こりゃやべぇんじゃないか・・・と。
(今回の話聞いたら、安倍改憲なんてマジでナメているとしか思えない)
で、今までずっと曖昧あやふや、うやむやナアナアにしてきた[戦力]。
そりゃ漫画みたく日本全土をカバーする絶対防御バリアみたいなものでも持ち出してこなければ、
いつか必ず誤魔化しきれなくなってくる、無理が出てくるのは当然、自明の理。
しかし、その現実にしっかり向き合い、向き合わせていかなければならない。
白黒はっきりさせないと先に進まない。
一切誤魔化さずにはっきりとさせることで、何が足りないのか、何が必要なのかが明確となり、
現実的に具体的にどう手を打っていけばいいか、
貧ぼっちゃまはどうすればまともな服装ができるのかという段階に進められるというわけで、
(パッと見キマっているように見えて、実はめちゃくちゃ無防備な貧ぼっちゃまとは、
他に考えつかないくらい絶妙な例えだと、心底唸らされました。)
そういう議論の段階に進むためにはどうやったらいいか?
戦後70年でここまで伏魔殿みたくなっているとなると、やべぇ難題になりそうだなあ・・・と。
(←ただ、『新・堕落論』を拝読しましたが、堕落からの覚醒こそが健全ですが、
堕落の果てに・・・なんてこともあるのでしょうか?なんて思ったり)
だからってやべぇやべぇで怖じ気づいていたら、安倍政権の思うがままにされてしまうわけで、
それが一番やべぇことには変わらないわけで、
一歩ずつでも前進していくしかない、やるしかない、立ち止まるわけにはいかない。
そう思ったら一発目の今回でここまで本質論的に問題が示されたのは、
今後の議論の質の高さを、立憲的改憲の質の高さを保証するということで、成功と言っていいものと思います。とりあえずは。
大変に思えることでも、とりあえず問題提起された。議論の俎上に乗っかった。
これ即ち解決への第一歩と考えれば、やってやれないことでもないのではないか、みたいな。
安倍改憲をまな板に乗っけて、日本の、日本人の精神の丸裸のところを指摘し、問題提起し、追及していけば・・・とか。
そうすると、これはやべぇほど面白い展開になってきそうで。
問題をクリアしていく喜び、新しいものを発見していく歓び、
形而上にあるものを形而下に具現する悦び、
仕事であれ、趣味的なものであれ、創造するということ、何かを前に進めようとすることは、
人が人間となる根源的で本能的な欲望であり、それ即ち人間の実存となるわけで、
トテカンカンなんて聴こえてこなくなるわけです。
私も研究者ですから、この何モノにも勝るこの快感をゴー宣道場で見ていくことになっていくという予感・期待を持たせて頂いたことは、
この上ない慶び!やべぇぜ!
まあこんな感じです。まだありますが、もういい加減にします。
第2部以降は、これから視聴します。