tasuu のコメント

 道場で質問が出来な方ので、こちらに書かせていただきます。
 私は、アメリカの侵略戦争に加担したくないと考えていますし、ましてや、地球の裏側まで自衛隊が行くことにも反対です。そのための方法として、憲法で集団的自衛権に制限をかけることが有効なのであれば賛成です。

 しかし、駒村先生がおっしゃられていたとおり、万が一、戦争をやる場合には勝たなければならないと思います。
 また、憲法9条のような戦力制限規定が、他の憲法の条項と異なるのは、憲法9条においては、「権力」と「国民」の二者だけでなく、「敵国」という第三者を想定しなくてはならない点だと思います。
 「敵国」と、万が一、戦争をする場合には必ず勝たなくてはならないと思います。
 敵に必ず勝たなくてはならないことを想定した場合に、集団的自衛権を行使しないといった「戦力制限規範」は有効なものなのでしょうか。敵に勝たなくてはならなくなれば、結局は解釈改憲を行って、憲法で制限された戦力や自衛権を解除せざるを得ないのでしょうか。
 検閲や拷問の禁止といった、「権力」と「国民」との関係であれば、解釈改憲で検閲や拷問を可能にすることは、国民も許さないと思います。しかし、自衛権の問題については、敵国が存在する以上、結局は、敵国に勝つためという必要性のために、国民としても解釈改憲を容認せざるをえなくなってしまうのではないでしょうか。

 私としては、憲法9条のような戦力制限規範は、どれだけ制限をかけても、敵国の戦力や国際情勢が変わった場合には、解釈会見で対応せざるを得ない状況に陥ってしまうのではないかと思います(現状のように、憲法改正に高いハードルが存在している場合には。)。
 憲法9条のような戦力制限規範が、憲法の条項に存在していること自体が、解釈改憲の呼び水となり、立憲主義が形骸化する温床になってしまうのではないでしょうか。
 この点について、駒村先生に質問してみたいと思いました。
 私としては、戦力を制限する規範は、憲法から削除し、どのような戦力をもつか、どのような戦争に参戦すべきか、集団的自衛権を行使すべき状況にあるか否かは、全て国会の議論と法律に委ねるべきではないかと考えています。
 
 

No.4 82ヶ月前

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