議論の概要は、師範方がブログに挙げておられます。細かい内容は、覚書きの羅列になるので総論的に書きます。 高山先生の話を始めに、議論が展開されて思ったのは、日本の法治は、かなり滅茶苦茶になっていると改めて肌で感じました。 法律問題は道徳問題です。道徳が法の理念、趣旨です。しかし、条文には道徳としての機密性が保てず、不備すき間が生じます。 為政者は、法により国民の信託を受けたにも関わらず、法律の不備すき間を使い、法の理念を踏みにじり、己のやりたいままに為そうとするだけです。 公僕への信任を逆手にとって、法の規定無き所をすり抜ける脱法を、合法と正当化する卑怯を繰り返しています。これで、法手続き上に問題無しを理由に逃げるだけです。 法の不備すき間は、法の理念で埋めるべき所を、安部晋三は、あらゆる脱法行為で滅茶苦茶にしました。法律への信用は無くなっています。常識を無くし破壊し尽くしています。 国民は、理が無くても怒りません。目の前の生活に、ただ必死に生命維持をしているだけで、己の国と世界の関係に考え無しです。 戦後、七十余年、受け継いできた国家制度に寄りかかっているだけの惰性しか有りません。 デマ誘導の行き交うネット、興味本位で的外れなテレビ、堕落の雑誌、臆病な新聞に熟考する事無く、感覚だけで、為政者が権力を欲しいままに米国に追従し、国民が権力任せの保身の日々を送り、惰性の傍観者でいては、未来に無秩序な破滅が待っているだけです。 政治も国民も、何を基準に生きているのか判りません。基準と言っても、人間で有る以上、人間としての常識に従うだけです。よしりん先生は、バランス感覚と仰っておりましたが、要は、この事でしょう。それなのに右へ左へヨタヨタし過ぎです。 道理よりも権力者、安倍晋三の甘い言葉に、社会を善導すべき有識者も、権威として恐縮し、権力の堕落に追従する話には呆れ返ります。余程、自己肯定感に乏しいか、権力と結びついて成り上がる見下げた性根です。 今回の道場は、法治国家としての日本を立て直す宣言になったと思います。これは、法律の根源たる国民の道徳、性根、考え方を改めて規定し直す大事業です。高森先生によれば、達成すれば国民自らでは史上初になると聞き、胸踊ります その為には、感覚だけの憲法では無く、可視化出来る熟考したものでなくてはならず、お飾りだけの改憲案に、具体的な常識で凌駕する対案をぶつける御話は もっともです。それには、山尾議員の当選は貴重なものです。そして、倉持弁護士が必要です。 脱法行為に恥の無い者が、日本に出現した以上、権力を自由に行使したら面倒になるものに変えるしか無いのは仕方有りません。憲法の条文だけをひねくるものでは無く、体系に矛盾を抑えた真の憲法典の完成が必要です。 問題は、短絡に固定された国民意識が付いて来るかです。しかし、考えても始まりません。短絡が、ぐうの音も出せない良識で対抗し続けて、国民を巻き込まないとなりません。 高森先生や倉持先生が仰るように、知的に人間の尊厳を掻き立てるものにすれば、高揚感、わくわく感、楽しさで国民は覚醒してくると思います。国民としての個の確立になるものと思います。 これを道場から、国民にぶつけると、登壇された先生方の議論を聞いて、これに希望が持てました。これまでの政治の有り様に暗い失望感しか感じませんでした。しかし、王道正論による憲法を実現すべく新しい征途に着く事は明るく楽しく感じて来ました。何時に無く、高森先生が明るい感じがしましたのは、この為かと思います。もちろん、師範方は一致していると思います。 山尾議員には、是非も無く、道場と共に奮闘して頂きたく思います。立憲民主党が、もっと早く具体的に、山尾議員と同調すべく動き出してもらいたいと思います。
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議論の概要は、師範方がブログに挙げておられます。細かい内容は、覚書きの羅列になるので総論的に書きます。
高山先生の話を始めに、議論が展開されて思ったのは、日本の法治は、かなり滅茶苦茶になっていると改めて肌で感じました。
法律問題は道徳問題です。道徳が法の理念、趣旨です。しかし、条文には道徳としての機密性が保てず、不備すき間が生じます。
為政者は、法により国民の信託を受けたにも関わらず、法律の不備すき間を使い、法の理念を踏みにじり、己のやりたいままに為そうとするだけです。
公僕への信任を逆手にとって、法の規定無き所をすり抜ける脱法を、合法と正当化する卑怯を繰り返しています。これで、法手続き上に問題無しを理由に逃げるだけです。
法の不備すき間は、法の理念で埋めるべき所を、安部晋三は、あらゆる脱法行為で滅茶苦茶にしました。法律への信用は無くなっています。常識を無くし破壊し尽くしています。
国民は、理が無くても怒りません。目の前の生活に、ただ必死に生命維持をしているだけで、己の国と世界の関係に考え無しです。
戦後、七十余年、受け継いできた国家制度に寄りかかっているだけの惰性しか有りません。
デマ誘導の行き交うネット、興味本位で的外れなテレビ、堕落の雑誌、臆病な新聞に熟考する事無く、感覚だけで、為政者が権力を欲しいままに米国に追従し、国民が権力任せの保身の日々を送り、惰性の傍観者でいては、未来に無秩序な破滅が待っているだけです。
政治も国民も、何を基準に生きているのか判りません。基準と言っても、人間で有る以上、人間としての常識に従うだけです。よしりん先生は、バランス感覚と仰っておりましたが、要は、この事でしょう。それなのに右へ左へヨタヨタし過ぎです。
道理よりも権力者、安倍晋三の甘い言葉に、社会を善導すべき有識者も、権威として恐縮し、権力の堕落に追従する話には呆れ返ります。余程、自己肯定感に乏しいか、権力と結びついて成り上がる見下げた性根です。
今回の道場は、法治国家としての日本を立て直す宣言になったと思います。これは、法律の根源たる国民の道徳、性根、考え方を改めて規定し直す大事業です。高森先生によれば、達成すれば国民自らでは史上初になると聞き、胸踊ります
その為には、感覚だけの憲法では無く、可視化出来る熟考したものでなくてはならず、お飾りだけの改憲案に、具体的な常識で凌駕する対案をぶつける御話は もっともです。それには、山尾議員の当選は貴重なものです。そして、倉持弁護士が必要です。
脱法行為に恥の無い者が、日本に出現した以上、権力を自由に行使したら面倒になるものに変えるしか無いのは仕方有りません。憲法の条文だけをひねくるものでは無く、体系に矛盾を抑えた真の憲法典の完成が必要です。
問題は、短絡に固定された国民意識が付いて来るかです。しかし、考えても始まりません。短絡が、ぐうの音も出せない良識で対抗し続けて、国民を巻き込まないとなりません。
高森先生や倉持先生が仰るように、知的に人間の尊厳を掻き立てるものにすれば、高揚感、わくわく感、楽しさで国民は覚醒してくると思います。国民としての個の確立になるものと思います。
これを道場から、国民にぶつけると、登壇された先生方の議論を聞いて、これに希望が持てました。これまでの政治の有り様に暗い失望感しか感じませんでした。しかし、王道正論による憲法を実現すべく新しい征途に着く事は明るく楽しく感じて来ました。何時に無く、高森先生が明るい感じがしましたのは、この為かと思います。もちろん、師範方は一致していると思います。
山尾議員には、是非も無く、道場と共に奮闘して頂きたく思います。立憲民主党が、もっと早く具体的に、山尾議員と同調すべく動き出してもらいたいと思います。