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② 第2部について
リベラル改憲案の本質、そのエポックメイキングな重要性について勉強させて頂きました。
我々は憲法論議の歴史における重大な事件の目撃者となったわけですか?

保守思想が歴史とか伝統とか共同体とかの、不文律的な常識的感覚に根ざしているのに対し、
リベラル思想はそういうのから一切解放(レクイエムにもある[リベラ])された上で、とにかく理知的、論理的、近代合理主義的という印象。
デカルトの「我思う、故に我あり。」が起源だったりするのでしょうか?

必要は発明の母。必要とはそれまでの否定。人は前を向いて進むように出来ている。人は進歩しなくても、人間世界は進化できる。
保守はリベラルに否定され、リベラルは保守に否定され、互いに克服しようとする。
そういうメソッドで、私も色々新しいものを研究開発したものです。

そしてこの憲法改正論議は、果たして保守とリベラルの議論、智恵と知恵のぶつかり合いにより、弁証法的により洗練・昇華され、
高度なレベルでの保守とリベラルの調和・融和・共存共栄、或いは保守もリベラルも超越した更なる価値観に止揚統合する可能性もある。
(枝野幸男氏はもうその域に達しているのでしょうか?)

気楽な観客としては、その変容を見ていくのはとても楽しい、心踊ることです。
況んや、勉強意欲の高い人なら、理解できないかもしれなくても一生懸命耳を傾けるでしょう。

 ③ 全体的な感想
倉持先生については、正直、以前はこりん星からきたゆうこりんみたいな、
価値は高くてもちょっと色々イタい人という印象でしたが、
何があったのやら、一皮剥けたかのように、古い自分に打ち勝ったかのように、
今回の基調講演といい、連日のブログといい、頭の若さというか変なケレン味が後退し、よく整理され洗練されてきたように思いました。
感極まって号泣されたらどうしようかとか思いましたが、終始淡々とクールで良かったと思います。

それで、一体どれだけ研鑽を積み、どれだけ意識高く思考し、求道し続けていれば、ここまでの領域に達することができるのか。
おべんちゃらを書いているわけではなく、このような知性に対する憧憬というか、喜び、愉悦というか、
ゴー宣道場が公論の場としてより注目され、躍進するためのセールスポイントとして、
このイケメンな知性が活用できないものなのかなと思った次第です。
池上彰やら林修やらよりもずっと権威・風格・信頼がある、みたいな。

議論の内容とは全然関係ない、好き勝手な戯れ言ですが、あしからず、失礼しました。
高校生の時、藤沢駅でニアミスしていたかもしれない三浦瑠麗氏以上に、僭越ながら実は親近感を感じる方なので。

それと、語られれば語られるほど、考えれば考えるほど、枝野幸男氏は実は底知れない知性の持ち主なのではと。
安倍政権をどうにかするためにとか、一切掛け値なしに、この人の政党に票を投じるのも面白いのでは、と思います。

 ④ 今後「道場」や「ネット道場(動画)」で
   取り上げて欲しいテーマ(企画)があれば

ビジョンを描くにはテーマが必要ということで、それなら公論の場ゴー宣道場こそが、政治家や日本国民にテーマを呈示するというのはどうでしょうか。
まず、ゴー宣道場がそのテーマについて議論して、
政治家や国民がそこからさらにビジョンを展開したりバリエーションを広げたりし、そして具現実現結実させていく。
倉持先生風に言えば、『ゴー宣道場交響曲』のソナタ楽章みたいな。
それができれば、先述の私の研究の実践に近いことができるのですが、どうでしょうか?
皆が言うように、ちょっとやっぱりまだ先に行き過ぎていますか?

No.19 86ヶ月前

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