性別 男 年齢 37 お住まい 神奈川県 職業 建築業・職人 1.参加(視聴)の動機(目的)は何ですか? 公的には、憲法の議論とは、即ち日本国民としての意識と覚悟を議論すること。 こういう議論を継続的にしていかなければ、いつまでも日本列島は臆病者の島のままだと、考えます 。 個人的には、前回のゴー宣道場のお陰で、私の個人的なある研究のうち、『民主主義という病い』から着想を得て、鋭意研究してきたものが、なんと思いがけずに仕上がってしまいました。 ゴー宣道場を応援させて頂きまして感謝です。 しかし、例えば倉持先生が九州道場で語っていた三権分立についての問題提起とか、上手く反映できているのか? もう少し考察を深めておきたい。また、残る研究にもヒントが得られるかも知れない。 2.今回のゴー宣道場の感想をお聞かせください ① 第1部について 確かに難解でしたが、ブログで予習させて頂いていましたし、先述の自分の研究の考察にも関わるので、 私なりに、倉持式憲法改正チェックポイントみたいなところはメモさせて頂きましたし、 井上達夫氏とも違う、こういう視点からの改憲もあるものなんだなと、 プロの法律家からすれば、いざ憲法改正するならここまで考えるものなのか。頭が下がるなとか、 その淀みない理路整然としたプロの実力に感心していたところに、 自主独立のための改憲とは出発点が異なるというアンチテーゼがバチンと。 深い議論、分厚い議論の予感にアドレナリンがドバドバ!(実際、夜二時間しか眠れませんでした) 映像でも伝わるその緊張感。これぞ議論の醍醐味! ただその前に、解消されない疑問がありまして、 大東亜論第三部の描きおろしで、百花繚乱の私擬憲法はすべて無視され、 結局お上からの押しつけ憲法だったというのがありました。 憲法とは国家権力に対する国民からの命令書であるのに、実際に憲法作成・改正・成立・施行するのは、権力者である政治家というパラドックス。 基調講演の中でも、当然自分達が自縄自縛にならないようにするだろうと。 ですから、今回だってこのままいけば、結局政治家が一方的にプレゼンしてくるのを、 我々国民は唯々押しつけられるということになるのでは。 今回の折角のゴー宣道場の論議だって、残酷なことにフイになるかもしれない。 熟議などする気もない安倍政権や、リベラルを排除とか公然平然と言ってのける緑のたぬき(確かにたぬき顔ですな)、 そんなのに押しつけられる、開けてみたら化け物だらけの大きなつづらのような改正憲法。 そうなったら泣き叫んでも無駄なこと。その恐怖、無惨…。 今回の倉持先生のリベラル改憲案が、高森先生小林先生をして驚嘆・称賛せしめるほどの価値があるものならなおのこと。 憲法が権力を縛るためのものなら、どのように政治家に国民の側の要望要求に応えさせればいいのか? 今回のゴー宣道場での論議などは、いかに反映・影響させられるのか? コンビニもない田舎でも、例えば「憲法裁判所?そんなの常識だよ!」という風になるように、世の中をどう変えていけばいいか?
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(ID:42936071)
性別 男
年齢 37
お住まい 神奈川県
職業 建築業・職人
1.参加(視聴)の動機(目的)は何ですか?
公的には、憲法の議論とは、即ち日本国民としての意識と覚悟を議論すること。
こういう議論を継続的にしていかなければ、いつまでも日本列島は臆病者の島のままだと、考えます
。
個人的には、前回のゴー宣道場のお陰で、私の個人的なある研究のうち、『民主主義という病い』から着想を得て、鋭意研究してきたものが、なんと思いがけずに仕上がってしまいました。
ゴー宣道場を応援させて頂きまして感謝です。
しかし、例えば倉持先生が九州道場で語っていた三権分立についての問題提起とか、上手く反映できているのか?
もう少し考察を深めておきたい。また、残る研究にもヒントが得られるかも知れない。
2.今回のゴー宣道場の感想をお聞かせください
① 第1部について
確かに難解でしたが、ブログで予習させて頂いていましたし、先述の自分の研究の考察にも関わるので、
私なりに、倉持式憲法改正チェックポイントみたいなところはメモさせて頂きましたし、
井上達夫氏とも違う、こういう視点からの改憲もあるものなんだなと、
プロの法律家からすれば、いざ憲法改正するならここまで考えるものなのか。頭が下がるなとか、
その淀みない理路整然としたプロの実力に感心していたところに、
自主独立のための改憲とは出発点が異なるというアンチテーゼがバチンと。
深い議論、分厚い議論の予感にアドレナリンがドバドバ!(実際、夜二時間しか眠れませんでした)
映像でも伝わるその緊張感。これぞ議論の醍醐味!
ただその前に、解消されない疑問がありまして、
大東亜論第三部の描きおろしで、百花繚乱の私擬憲法はすべて無視され、
結局お上からの押しつけ憲法だったというのがありました。
憲法とは国家権力に対する国民からの命令書であるのに、実際に憲法作成・改正・成立・施行するのは、権力者である政治家というパラドックス。
基調講演の中でも、当然自分達が自縄自縛にならないようにするだろうと。
ですから、今回だってこのままいけば、結局政治家が一方的にプレゼンしてくるのを、
我々国民は唯々押しつけられるということになるのでは。
今回の折角のゴー宣道場の論議だって、残酷なことにフイになるかもしれない。
熟議などする気もない安倍政権や、リベラルを排除とか公然平然と言ってのける緑のたぬき(確かにたぬき顔ですな)、
そんなのに押しつけられる、開けてみたら化け物だらけの大きなつづらのような改正憲法。
そうなったら泣き叫んでも無駄なこと。その恐怖、無惨…。
今回の倉持先生のリベラル改憲案が、高森先生小林先生をして驚嘆・称賛せしめるほどの価値があるものならなおのこと。
憲法が権力を縛るためのものなら、どのように政治家に国民の側の要望要求に応えさせればいいのか?
今回のゴー宣道場での論議などは、いかに反映・影響させられるのか?
コンビニもない田舎でも、例えば「憲法裁判所?そんなの常識だよ!」という風になるように、世の中をどう変えていけばいいか?