今回の御話はなかなか難しく、体系的に理解出来るものではなかったです。本来なら、課程を決めて学ぶものです。しかし、庶民的にわかりやすく道場を開催して頂く事は、とても貴重です。 倉持先生の無事の御登壇を嬉しく思います。時間を労して書いてくださったブログは大変参考になりました。体系に到らなくても、俯瞰図にはさせて頂けました。倉持先生は、専門家や法廷に属する人なので、専門的に難しくなるのは仕方が有りません。欲を申せば、文章や御話の公式を庶民に合わせるように工夫して頂ければ有り難いです。 交戦権と自衛権、集団安全保障と集団的自衛権の定義付けの曖昧と乱用が、憲法9条に見られる戦争の違法性を錯誤させ、国の利権と権力者によって、非道な侵略戦争が頻発する事が分かりました。 国際安全保障の仕組みが、完全に働けば国際法的に自衛権は機能するはずなのに、実際は不可能の為に、自衛権を個別的に認めたら、集団的自衛権として拡大歪曲されて、国際法上の自衛権は、侵略戦争として、捻じ曲げられている御話は理解出来ました。 他の俯瞰的で主要な理解を同時並行的に抽出します。従属部分は省略しても長くなりました。毎回そうですが、感想と言えるか分かりません。何だか、自分の話のようになってしまう所は御容赦ください。自分の備忘録のようなものです。 人間が存在して、初めて価値の概念が創出されるので有り、人間の存在無くして価値の概念は存在しないのが、本来、自然の姿です。そこに人間の個人における価値とか、社会における価値とか無いわけです。憲法において人間の価値は、人間が定める事を前提にしています。これを理解しないと、憲法が憲法を価値付ける概念が腑に落ちないと思います。 人間個人、人間社会の価値に形は有りません。それに形を与えて律する一つが憲法という事です。その根本的単位が個人で有り、これを無視して価値は有り得ないのをリベラルと申されておりました。個人に則った人間性の理念こそ、憲法の価値です。言い換えれば、人間の理念、そのものです。 こうなると、保守も革新もリベラルも語句に関係有りません。人間の道理に過ぎません。そうした価値を選び、憲法に定め、この理念に沿う社会を目指すのが立憲主義ならば、これを民主主義としての定義付けを拡散すべきかと思いました。立憲主義と民主主義の足の引っ張り合いは無意味です。 保守と革新とリベラルの語句の定義の曖昧な為に、語句の印象、感覚に負け、実際の政治信条を二の次にして政治手法、所属する党派を選ぶのは情けない限りです。 憲法は、ひとえに個人としての人間性の価値を守る為のものです。これを「人間が共生する為の共通認識」であると申されていました。そして、暴走し利権を独り占めする政治的、経済的権力を封じる為に必要です。公共社会の為に個人の価値を狭めては憲法は用無しです。 文化的人間より発生する全ての事態を法の機密性で網羅する事は出来ません。全てを法律に任せる事は不可能です。やはり、法治社会の中に在って、人間が人間としての価値から離れず、良心に則ろうとしなければ、法の意味は全く無意味です。例えば、憲法行使によって臨時国会を招集し、安倍晋三の疑獄を解明しようとしたら、安倍晋三が、同じ憲法行使によって、解散権を発動する法の矛盾と同じです。 人間には、個人的立場と社会的立場が有ります。人間が、個人の価値と社会の価値を見る時、重なるものも有れば、相反するものも有り、互いに干渉して成立するものも有り、人筋縄で、考えてしまうと混乱すると思います。その時と場合で、柔軟に思慮出来無いと、カルト的原理主義に陥って、一向的となり、人間性を無視する矛盾に陥ります。 憲法の上位概念として、リベラル的価値が存在すると言うより、人間が在って、憲法、その他の文化は存在しています。しかも、時間と空間による歴史、地域、文化、風習にも左右されています。以上を踏まえて、憲法は、如何に人間性に則っているかが問題で有り、憲法の改正は、如何に、その時代の人間性に則った道理を汲んだものに修正すべきかが大事です。 憲法(全ての法律)は条文から成りますけれど、語句よりも、その裏の理念を理解するのが先と思います。これは物事を単純化して、原理主義に陥らないのに必要です。はからいなく、へつらいなく、たかぶらない生き方にこそ、法の理念は有ると思います。 改憲は、体系的にしないと意味を失います。安倍晋三の9条の単純な加憲は、憲法9条を中心とした法体系の矛盾、欺瞞を拡大します。亡国の改憲論です。集団的自衛権にて、戦争の違法性を説く国際法の理念に逆らいます。自衛隊の弱体化、または暴走化が生じ、文民統制を不能にし、残酷な被侵略、侵略戦争を生み出します。 個別的自衛権と、考え抜かれた専守防衛を国際法上における戦争の違法性の理念に則って改憲するのが、平和憲法の性質を守る為に必要です。 現在の国際法上の枠組みの中で、自国の安全保障としての個別的自衛権を考える事だと思います。国際法の改善とは別の話です。
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今回の御話はなかなか難しく、体系的に理解出来るものではなかったです。本来なら、課程を決めて学ぶものです。しかし、庶民的にわかりやすく道場を開催して頂く事は、とても貴重です。
倉持先生の無事の御登壇を嬉しく思います。時間を労して書いてくださったブログは大変参考になりました。体系に到らなくても、俯瞰図にはさせて頂けました。倉持先生は、専門家や法廷に属する人なので、専門的に難しくなるのは仕方が有りません。欲を申せば、文章や御話の公式を庶民に合わせるように工夫して頂ければ有り難いです。
交戦権と自衛権、集団安全保障と集団的自衛権の定義付けの曖昧と乱用が、憲法9条に見られる戦争の違法性を錯誤させ、国の利権と権力者によって、非道な侵略戦争が頻発する事が分かりました。
国際安全保障の仕組みが、完全に働けば国際法的に自衛権は機能するはずなのに、実際は不可能の為に、自衛権を個別的に認めたら、集団的自衛権として拡大歪曲されて、国際法上の自衛権は、侵略戦争として、捻じ曲げられている御話は理解出来ました。
他の俯瞰的で主要な理解を同時並行的に抽出します。従属部分は省略しても長くなりました。毎回そうですが、感想と言えるか分かりません。何だか、自分の話のようになってしまう所は御容赦ください。自分の備忘録のようなものです。
人間が存在して、初めて価値の概念が創出されるので有り、人間の存在無くして価値の概念は存在しないのが、本来、自然の姿です。そこに人間の個人における価値とか、社会における価値とか無いわけです。憲法において人間の価値は、人間が定める事を前提にしています。これを理解しないと、憲法が憲法を価値付ける概念が腑に落ちないと思います。
人間個人、人間社会の価値に形は有りません。それに形を与えて律する一つが憲法という事です。その根本的単位が個人で有り、これを無視して価値は有り得ないのをリベラルと申されておりました。個人に則った人間性の理念こそ、憲法の価値です。言い換えれば、人間の理念、そのものです。
こうなると、保守も革新もリベラルも語句に関係有りません。人間の道理に過ぎません。そうした価値を選び、憲法に定め、この理念に沿う社会を目指すのが立憲主義ならば、これを民主主義としての定義付けを拡散すべきかと思いました。立憲主義と民主主義の足の引っ張り合いは無意味です。
保守と革新とリベラルの語句の定義の曖昧な為に、語句の印象、感覚に負け、実際の政治信条を二の次にして政治手法、所属する党派を選ぶのは情けない限りです。
憲法は、ひとえに個人としての人間性の価値を守る為のものです。これを「人間が共生する為の共通認識」であると申されていました。そして、暴走し利権を独り占めする政治的、経済的権力を封じる為に必要です。公共社会の為に個人の価値を狭めては憲法は用無しです。
文化的人間より発生する全ての事態を法の機密性で網羅する事は出来ません。全てを法律に任せる事は不可能です。やはり、法治社会の中に在って、人間が人間としての価値から離れず、良心に則ろうとしなければ、法の意味は全く無意味です。例えば、憲法行使によって臨時国会を招集し、安倍晋三の疑獄を解明しようとしたら、安倍晋三が、同じ憲法行使によって、解散権を発動する法の矛盾と同じです。
人間には、個人的立場と社会的立場が有ります。人間が、個人の価値と社会の価値を見る時、重なるものも有れば、相反するものも有り、互いに干渉して成立するものも有り、人筋縄で、考えてしまうと混乱すると思います。その時と場合で、柔軟に思慮出来無いと、カルト的原理主義に陥って、一向的となり、人間性を無視する矛盾に陥ります。
憲法の上位概念として、リベラル的価値が存在すると言うより、人間が在って、憲法、その他の文化は存在しています。しかも、時間と空間による歴史、地域、文化、風習にも左右されています。以上を踏まえて、憲法は、如何に人間性に則っているかが問題で有り、憲法の改正は、如何に、その時代の人間性に則った道理を汲んだものに修正すべきかが大事です。
憲法(全ての法律)は条文から成りますけれど、語句よりも、その裏の理念を理解するのが先と思います。これは物事を単純化して、原理主義に陥らないのに必要です。はからいなく、へつらいなく、たかぶらない生き方にこそ、法の理念は有ると思います。
改憲は、体系的にしないと意味を失います。安倍晋三の9条の単純な加憲は、憲法9条を中心とした法体系の矛盾、欺瞞を拡大します。亡国の改憲論です。集団的自衛権にて、戦争の違法性を説く国際法の理念に逆らいます。自衛隊の弱体化、または暴走化が生じ、文民統制を不能にし、残酷な被侵略、侵略戦争を生み出します。
個別的自衛権と、考え抜かれた専守防衛を国際法上における戦争の違法性の理念に則って改憲するのが、平和憲法の性質を守る為に必要です。
現在の国際法上の枠組みの中で、自国の安全保障としての個別的自衛権を考える事だと思います。国際法の改善とは別の話です。