倉持師範のお話…、難しかったですね。中々、自分のなかで整理がつかなかったので、またお話しいただきたいですね。 しかし、倉持師範の話はリベラリズムからの憲法改正という新たな視点ですが、一方でオーソドックスな考えでもあると感じました。 僕がもっとも心に残ったのは、憲法改正はテーマから考えていかなければならないということ。考えてみれば当たり前の話ですね。憲法改正が目的化したらいけない。9条3項の加憲なんか意味が分からないし、それで賛成している自称保守っていい加減だなと思います。 そして、リベラルの視点からの憲法改正論ですが、難しいけれども勉強になりました。たしかに、ゴー宣でも憲法は権力者への命令書(だったっけ?)ということを言ってましたが、いかに権力者の暴走を押さえるかが根本のテーマにあるように思えますし、その意味では憲法はもともとリベラルから出発したのでしょう。 僕は憲法の基本は権力へのアンチテーゼだと思うに至りました。権力は常に暴走する怪物のようなもので、抑えても抑えてもなお起き上がってくる、それでも何とか制御しようとする、しかし、僕らが人生において、抑圧から完全に逃れるのは無理であり、でもそのなかでいかに自由を確保するかが憲法の根本的なテーマでしょう。 なので、それは決して共同体であったり、ナショナリズムを否定しうるものではありません。そもそも、共同体への帰属意識もナショナリズムも人間の自然な感情であり、それを認めないというのはやはり、リベラルではないのです。 要は憲法はリベラリズムを基本にしつつ、それぞれの国柄にあった色づけを していくものではないかとぼくは理解したし、リベラリズムとナショナリズムは決して対立概念ではないというべきでしょう。
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ゴー宣ネット道場
(ID:30637823)
倉持師範のお話…、難しかったですね。中々、自分のなかで整理がつかなかったので、またお話しいただきたいですね。
しかし、倉持師範の話はリベラリズムからの憲法改正という新たな視点ですが、一方でオーソドックスな考えでもあると感じました。
僕がもっとも心に残ったのは、憲法改正はテーマから考えていかなければならないということ。考えてみれば当たり前の話ですね。憲法改正が目的化したらいけない。9条3項の加憲なんか意味が分からないし、それで賛成している自称保守っていい加減だなと思います。
そして、リベラルの視点からの憲法改正論ですが、難しいけれども勉強になりました。たしかに、ゴー宣でも憲法は権力者への命令書(だったっけ?)ということを言ってましたが、いかに権力者の暴走を押さえるかが根本のテーマにあるように思えますし、その意味では憲法はもともとリベラルから出発したのでしょう。
僕は憲法の基本は権力へのアンチテーゼだと思うに至りました。権力は常に暴走する怪物のようなもので、抑えても抑えてもなお起き上がってくる、それでも何とか制御しようとする、しかし、僕らが人生において、抑圧から完全に逃れるのは無理であり、でもそのなかでいかに自由を確保するかが憲法の根本的なテーマでしょう。
なので、それは決して共同体であったり、ナショナリズムを否定しうるものではありません。そもそも、共同体への帰属意識もナショナリズムも人間の自然な感情であり、それを認めないというのはやはり、リベラルではないのです。
要は憲法はリベラリズムを基本にしつつ、それぞれの国柄にあった色づけを
していくものではないかとぼくは理解したし、リベラリズムとナショナリズムは決して対立概念ではないというべきでしょう。