2012年9月17日に映画監督押井守さんのブロマガ開始を記念して『押井守ブロマガ開始記念! 世界の半分を怒らせる生放送/押井守×鈴木敏夫×川上量生』という番組が放送されました。その放送終了後、さらに30分だけ行われたアフタートーク放送のテキスト版が押井監督のブロマガに掲載されたのですが、今回特別にその内容をガジェット通信に掲載させていただきます。
特に最後の10分間のテキストは会員の方しか視聴できなかった部分のものですので必見です。
なお、この『押井守×鈴木敏夫×川上量生』鼎談のテキスト版フルバージョンは数回に分けて押井守さんのブロマガに掲載されています。興味を持った方は購読してみてください。月額535円です。
押井守の「世界の半分を怒らせる」。
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【ニコニコ生放送/押井守アフタートーク『世界の半分を怒らせる生放送のあとの会員限定生放送』全文掲載】
去る9月17日にニコニコ生放送にて行われた『押井守ブロマガ開始記念! 世界の半分を怒らせる生放送/押井守×鈴木敏夫×川上量生』は視聴数3万8000人を記録。当MMでは次回からの全文掲載(ノーカットです)に先駆け、当日の鼎談後に行われたアフタートークを掲載。最後10分の有料部分もふくめてご覧ください。生放送とはまた違う、テキスト版の面白さをご堪能ください。なお司会はニコニコ動画さんです。
――公式生放送をご覧のみなさまありがとうございました。仕切り直して始まりました、押井守アフタートークですね。ここから先は30分の予定で、まずは20分は無料の時間になります。そのあと10分に関しましては押井守チャンネルの会員の方のみの限定放送となります。いま上にリンクが出ると思うんですけど、残り10分のお時間をご覧になりたいという方はぜひ上のリンクから押井守チャンネルに入会していただければと思います。ここからは先ほどの公式生放送の率直な感想を押井守さんにインタビュー形式でうかがいながら、番組を進めていきたいと思います。では押井守さんよろしくお願いします。
押井:はい。
――今日の公式生放送、押井守さんはニコニコ生放送初めてのご出演ということだったと思うんですけど、率直に感想はいかがだったでしょうか?
押井:うーん、(画面に)字がいっぱい出てくるじゃないですか。すごく気になって気になってしょうがないですね(笑)。
――結構気になるコメントは流れましたか?
押井:いや、なんだろう、そんなにないですけどね。
――では一緒に出演なされた2人についてお聞きしてみたいと思います。まずドワンゴの会長の川上についてなんですけど、どういったご感想をお持ちになったでしょうか?
押井:若いんで驚いたんですよ。若いんで驚いたし「ジブリの見習いって何なんだろうな?」ってさ。わけわかんないし、聞いたんだけどよくわかんない。
――ありがとうございます。では旧知の仲かと思うんですけれども、鈴木敏夫さんについてなんですけど。
押井:なんかねえ、最初に呼んじゃいけない人間を呼んだような気がする。とにかく自分勝手にしゃべる男だから。結構なんかね、都合が悪くなると話を(よそに)振っちゃうんだよね。だからまともな話をしかかると必ず話を逸らしちゃう。
そういうしゃべり方の汚い男というか。もうちょっとまともな話になるのかなと思ったんだけど。ただ後半ちょっと面白かったかなと。
――ちなみに鈴木さんとはいつごろからのお付き合いになるんでしょうかね?
押井:『うる星やつら』のテレビシリーズを始めたころですね。だからかなり長いです。もう30年以上付き合ってます。
――その間お仕事でも何度か?
押井:いや、仕事したのはね、だから『天使のたまご』のときに(鈴木氏が)プロデューサーで一緒に組んでやったのと、あとは『イノセンス』で――(鈴木氏が)途中から入ってきたんですよ。途中から宣伝プロデューサーということで入ってきて、じつはその2回しか仕事上は付き合ったことはないです。あとは僕が撮った実写映画のほうで3回か4回出てもらってると思う。
――いま話題に上がりました『イノセンス』なんですけど、タイトルなどなど、鈴木さんの助言があって変更されたなどという話も聞きますけど、その辺の詳しいお話を聞かせていただけると嬉しいんですけど。
押井:結構あちこちで出たと思うんだけど『攻殻機動隊』の「機動隊」が気に入らないという話で「機動隊の映画なんて誰が見るんだよ」という話になって「いや、そういうタイトルなんだからさ」という。だけど「このままのタイトルじゃ当たらないからダメだ」という話になって……。現場ではずっと『GHOST IN THE SHELL 2』とか『攻殻2』とかずっと言ってたんですよ。公開寸前までそう言ってたし、作画監督をやってた鉄っつん(西尾鉄也)とかは最後まで「俺は『イノセンス』なんてタイトルは認めないんだ」とずっと言ってたけど、途中からなんとなくみんな慣れちゃったというか、僕自身は映画のタイトルって基本的にプロデューサーがつけるものだと思ってるから「どっちでもいいや」と思ったんですけど。で、海外ではいまだに『GHOST IN THE SHELL 2』になってるんだけど。『イノセンス』というタイトルは日本でしか通用しないから。
――ありがとうございます。この2人について聞いたので、当然ジブリの宮崎監督についてもちょっとお聞きしてみたいなと思ってはいるんですけど、そちらは後半の有料番組のなかで質問させていただければなと思っております。
押井:(笑)。
――もしお聞きになりたいという方は上にリンクが出ているかと思いますけど、押井守チャンネルに入会していただければなと思っております。ではですね、ここから先は先ほどの生放送のなかで押井さんに寄せられた質問を読み上げつつ、番組を進行していきたいと思います。まず滋賀県の30代男性からの質問です。
Q. 私は劇場版『パトレイバー』を27回見ました。押井さんが何度も見た映画はなんですか?
押井:うーん……『ブレードランナー』。たぶん30回ぐらいですかね。あとは覚えてないなあ。そんなに見ないですよ。というかめったに見ないんで。最近はますます見ないし。映画館で一番何度も見たというのはなんだろう、やっぱ『ブレードランナー』かな。
――『ブレードランナー』に関してはやはり作品への影響というのもかなりありますかね?
押井:ありますよ。ああいう作風がどうこうとかリドリー・スコットがいいとかいう以前の話として「あ、こういうふうに作っていいんだ」というね。で、よくわかんない話だったから。ただ世界観だけがすごいなというさ。お話なんかさっぱりわからなかったというか――まあ、何度か見てわかったんですけども――映画ってやっぱりドラマを追求するものじゃなくて、世界観を追求するものだなという一種の確信を持った作品なので。いまでもたまにというか、テレビでやってると、やってるところから最後までは見るんですよ。そういう半端な見方をしてるから、通して見てるというのは10回ぐらいかなと思います。
――ありがとうございます。続いての質問にまいります。埼玉県、20代の男性からの質問です。
Q. 押井さんに質問です。ケルベロスサーガの続編を作るお話はあったりしないのでしょうか?
押井:いままでに3回か4回お話はあったんですけど。結構けったいな企画もふくめて。なかにはマンガに1回なったんだけど『ケルベロスvs立喰師』とかね。結構不思議な企画は来ましたね。で、それ以外に真面目な話も2度ほど来て、いまもひとつ真面目な企画が。『人狼 JIN-ROH』ですけどね、あるところから来てますけど、それは僕がやるというんじゃなくて「リメイクさせてくれ」というお話が来てますけど。
――そのお話もちょっと有料部分でぜひ聞いてみたいなと思います。
押井:稼ぎますね(笑)。
――先ほどリメイクという言葉が出ましたが、押井さんご自身でいままでの作品で自分でリメイクしてみたい作品、実際『攻殻機動隊/GHOST IN THE SHELL 2.0』があったかと思うんですけど、ほかにありますでしょうか?
押井:リメイクというかね、いわゆるディレクターズカットと呼ばれてるものですよね。公開版とは違うバージョンを監督自身が作るということにちょっと最近興味があって。興味があってというか『スカイ・クロラ』。あれの違うバージョンを作ってみたいというか。いまある素材だけで違う編集で、音響をやり直してやってみたいというのは、個人的にはあります。
――なぜ『スカイ・クロラ』なんですかね?
押井:うーん、もともとあれってそういう約束で作ったんですよ。「ディレクターズカットで好きなものを作ってもいいから、とりあえずこっちの言うことを聞いてくれ」という話があって「それもいいのかな」と思って。もちろんいまやってるものもいいと思うんだけど、僕が最初に考えた『スカイ・クロラ』とちょっと違うんですよ。純然たる文芸映画として1回編集し直してみたいという、そういう願望はある。そしたらスタイルも変わるし。たぶん空中戦とか全部なくなると思うんだけど、それはいまあるバージョンで見てもらえばいいわけだから。だからさ、リメイクというか再編集版って必ずそれで揉めるんだけど、前のバージョンが消えてなくなるわけじゃないんですよね。上書きするわけじゃないんだから。だから違うバージョンを監督自身がもう1回作っていくという時間経過があってからとかね、「やっぱりちょっと違ってたな」とかさ、「プロデューサーの言うこと聞いた部分を全部外すとどうなるんだろう」とかいういろんな興味があって。だいたいさ、ディレクターズカット版ってみんなつまらないんですよ。いままで見たなかで言うと。(ジェームズ・)キャメロンの『エイリアン2』とかね、ディレクターズカットを見たんだけどやっぱり面白くないわけ。で、やっぱり切るだけの理由があったんだなというさ。だいたいディレクターズカットってみんな長くなるじゃないですか。で、僕が作るとたぶん20〜30分は短くなると思う。違う映画になるはずだし、違うふうになったものを自分自身が見てみたい、あるいは世の中に出してみたいという願望はありますね。
――それはぜひとも見てみたいですね。
押井:作らせてくれるという約束だったんだからさ。だけどあとから聞いたら「いや、それにしてもすごく売れたら……」「あれ、そうだったっけ?」という。いまだに覚えてないんだけど。だからいまとなってはみんなもう、そういう話はなかったふりはしてるから。だからやらせてよというさ。そんなにすごいお金かからないんだから。再編集して、もう1回ダビングするのに2〜3000万だと思うんだけど。それやらせてくれないかなあ、と思ってるんですけどね。
――その辺は契約に盛り込まれてなかったんですか?
押井:どうだろう(笑)。僕が考えてる『スカイ・クロラ』というのは微妙に違うんですよ。で、映画って必ずしも監督が100%自由になることじゃないから。原作者との問題もあったりして。まあ、あれはあれでダメだと言ってるんじゃないんですよ。いまある『スカイ・クロラ』も結構気に入ってるし。正直言っていままでのなかで自分が一番納得できた作品なんですよ。だからこそ余計ね、いろんなものを削ぎ取ってみたいというさ。そうするとたぶんもっと違った意味で立つ映画になるんじゃないのかな、というそういう気はしてます。
――ありがとうございます。先ほど納得できた映画という話が出ましたが、東京都20代の女性の方からの質問です。
Q. ご自身の映画で一番好きな作品はどれですか? そしてその理由はなんですか?
押井:『御先祖様(万々歳!)』。なんでかと言うといまでも年に1回ぐらい見てるんですよ。お正月に酔っ払ったときに見るんですけど。いまでも奥さんと2人で見て大笑いしちゃうんですよ。自分で作った映画でこれだけ笑えるというのはね、ほかにないので。だから結構気に入ってますね。逆にほかの作品はほとんど見ないですね。映画祭とか行ったときに、見なきゃいけないときに見るぐらいで。見ればもちろん見たなりにいろんなことを考えるんだけど、純然たる自分の楽しみで見るというね、そういうレベルで言うと『御先祖樣』。
――ではあまり好きではない作品はありますか?
押井:『(うる星やつら)オンリー・ユー』。大嫌いと言ってもいい。やっぱりなんかね、最初の大失敗というか。僕がいままで映画十何本かやってきて、最初の処女作と言えばそうだけど、映画になってないなというさ。そういう大反省をしたんで。だからやっぱりいまでも見るのはつらいし。それはスケジュールがなかったとか、予算がなかったとかそういう問題以前になんかね、監督としての仕事ができてないなというさ、そういう感じがしましたね。ちなみに原作者はあれが一番好きだというさ。その時点でもうすでに険悪だったんだけど。『(うる星やつら2)ビューティフル・ドリーマー』のときは逆だったんですよね。向こうが怒っちゃったというか、すごく不愉快だったらしいので。やっぱりその頃から原作者とうまく合わないという、そういう固定観念みたいになっちゃって。(『スカイ・クロラ』原作者の)森(博嗣)さんはだからとてもやりやすかったで
す。なにも言わなかったから。
――ありがとうございます。まもなく有料の時間に移らせていただこうかと思っております。その前にもうひとつだけ質問させていただければと思います。メルマガのなかでオスプレイについて書いていらっしゃったかと思うんですけど(※MM編注/創刊号に掲載)、いまこれには物申したいと思うような時事問題はございますでしょうか?
押井:山ほどありますよ。山ほどある。
――ではなにかひとつだけ(笑)。
押井:(笑)。そうねえ……中国とか韓国という話はまあ、またメルマガでやるとして、そう言われてみるととくにないですね。どれかひとつということじゃないんですよね、たぶん。全部結局同じ結論になっちゃうから。だからね、ひとつ答えれば全部同じ結論になっていくんで。ものを考えるってそういうことだから。強いてこれだけというのはいまどうしても一等賞でこれ、というのはとくにいつもないんですよ。だから聞かれれば「こう思うよ」という話で。それは逆にだからお題があったほうが僕はもともとしゃべりやすい人間なんで。
――ではこちらから聞かせていただきます。中国でいま起こっているデモ、尖閣に端を発していると思うんですけども、あれに関してどうお考えでしょうか?
押井:あれは昔からやってることだもんね。扇動しておいてあとで弾圧するというさ。その繰り返しでさ、いわゆる大衆操作だから。それが最近難しくなってるんだというか、中国共産党はそれがうまくいかなくなってるなという印象ですよね。火を点けて燃え上がらせたあとうまく消せなくなってきたというか。たぶんそれぞれがメディアを持ち始めたからなんでしょうね。まあ、インターネットということなんだけどさ。あとやっぱり全体にみんなものを考えられる環境になってきたというかさ、とくに都市部だよね。そういうことはあるんじゃないかな。だから結構うまくいってないなという印象で見てますね。
――ありがとうございます。では大変申し訳ありませんが、ここから先、まもなく有料パートに移らせていただこうかと思います。有料パートはさらに押井さんに時事問題について聞いてみたり、宮崎駿さんについて聞いてみたりしてみたいと思います。では無料会員のみなさまありがとうございました。
押井:すごいね、非難轟々だねこれ(笑)。
――はい、ではここから有料パートということでして(笑)、会員になったみなさまのみにお届けしております。ヒートアップというかブーストアップしていただいて結構ですので、よろしくお願いします。先ほど中国でのデモと尖閣についてお聞きしましたが、もうひとつ時事問題について聞いてみたいと思います。原発のデモに関して、押井さんはデモという行動に関してどのようにお考えでしょうか?
押井:なんかね、僕らがやってたデモと本質的に全然違うので。自然発生的なデモというのは僕らの頃は当然なかったから。いわゆる目的意識があって、ある覚悟があって参加するものだったから。いまのデモを見てると自然発生的だということになってるんだけど――本当にそうなのかなという気もするんだけどさ――いや、べつに誰かが仕掛けてるとか扇動してるとか、そういうことじゃなくて。やっぱり本当の意味で自然発生的にデモをやるとか、街頭に出るということをさ、本当に日本人ができるんだろうかという気がしてるわけ。いまはとりあえずテーマがほかにないのかな、という感じで見てるだけです。あれでどうかなるんじゃないかとかね、なにか変わるんじゃないかとか、ずっと以前に厚生省の問題があったじゃない。血清剤の話でさ。あのときとはだいぶ話が違うなというさ。つまり直接の被害者がいるわけじゃなくて――もちろん確かに福島のほうにいることはいるんだけど――津波はべつとして。厳密に言えば原発の事故で死んだ人間っていま誰がいるんだろうというさ。だから未来を担保するという話ですよね。そこが違うんじゃないかというさ。現に被害者がいて、その抗議活動というのとちょっとやっぱり趣が違うというかさ、どこかしら理念の話になってるわけだよね。原発が本当にまずいのかどうかという話に、とりあえずそっちから行かないだろうきっと、というさ。わりと情緒的なところで盛り上がってるのか盛り下がってるのか知らないけど、そういう感じのデモという雰囲気はしないですね。とくに現場でオルグもなければ募金活動もなければ、もちろん機動隊とやり合ったりということもないんだろうし。だから僕らからすると――僕らというのはつまり70年(安保)の頃にこんなことをやった人間からすると――だいぶなんか違うなというさ。
――参加してみたいというふうに思うことは?
押井:あ、全然思わない。僕はもうそういう街頭行動というのはダメなんだとわりと早くから結論を出しちゃった人間で。
――それはご自身の経験でということですよね?
押井:そうです。例えそれは火炎ビンを投げようがなにしようが同じことだから。街頭に出て直接抗議活動をするということにもういっさい幻想を持たないというさ。そういうところでなにも変わらないんだというさ。目先が変わったにしてもね。じゃあ選挙で変えるかと言えば選挙でも変わるものでもないと思ってるから。じゃあなんで変わるんだという話ですよね。日本人が変わるという契機は僕はひとつしかないと思ってるから。
――そのひとつと言うと?
押井:まあ、戦争ですよ。戦争をやらない限り変わらないですよ。あるいは戦争に負けない限り変わらない。だからそういう意味で言えば基本的にね、日本人って変わりたいとか変えたいとかは思ってないんだと僕は思ってるからさ。いまが永遠に続けばいい、という平和な日常以外にテーマがないから。それも本来だからそういうふうな日本人という単位で考えたとして――そういう単位があるかどうかも考えるべきテーマではあるんだけど――日本人にとってテーマって何なんだろうというさ。テーマなしで生きてこれたし、これからもテーマがほしいとじつは思ってないはずだし。あるとすればいまあるのは安全以外のテーマはあるんだろうか、というさ。安全というテーマ以外にいまなくなっちゃってるよね。今回の自民党の選挙だって安全がテーマになっちゃってるんでさ。でも考えてみたら安全ってテーマになるんだろうか? 安全だけではたぶんテーマにならない。ほかのものがくっついてくるとテーマになる。「どうやって安全に」とか「いかに安全に」とか「何のために安全に」とかその部分がないんだもん。安全という言葉だけでは何のテーマにもならないと思う。
いつか宮さんも言ってたけどさ、やっぱり日本は本当にもう1回鎖国したほうがいいんじゃないのという。外国と付き合いたいと思ってないし、付き合う動機もないし。だから開国していまのままだと植民地にしかなり得ないんだというところで初めて踏ん張ったんだよね。で、その踏ん張ったことの反動が百年近くかかっていまの日本になったわけでさ、本当に大雑把に言っちゃうとそういうことだからさ。開国しなかったらどうだったんだろうっていうさ。封建的だのなんだのと言われたって結構日本人はうまくやってたし、人生をエンジョイしてたわけだよね、(江戸時代の)三百年間というのはね。百姓一揆があったりとか、そりゃ言ってみれば僕らの学生の頃の話の、そっち系の史観のデマだから。それで言うとじつは日本人って外と付き合う気が本当にあるんだろうかというさ。付き合わないのがたぶん本来の一番のテーマなのかなという感じはしてますね。
――ありがとうございます。では東京都40代男性の方からの質問です。
Q. 押井さんがいま注目しているアニメーターやアニメ監督の方はいらっしゃいますでしょうか?
押井:いませんね。
――(笑)。
押井:いや、だって本当にいないんだもん。「うまいなこの人」とかね、「頭のいい人だな」というのは当然いるんだけど、注目という意味ではなにもないと思う。
――今年話題になりました、細田守さんなんかは?
押井:何度か個人的に3回ぐらい会ってるんですけど。1回なんか一緒にカラオケかなにかに行ったこともあるんだけど。
――(笑)。
押井:彼はだから本当にさ、すごく上手な人ですよ。ひと言で言っちゃうとコピーの天才。コピーすることがとてもうまい人。だけどやっぱり庵野(秀明)と一緒でテーマがない人間だというさ。テーマがなくてもべつに映画は撮れるし、撮ってもいいしさ。それも映画だから。だけどその芯になるものが全然見えない人だなというかさ。それは歳ということもあるんだろうけど。よく言うんだけど歳を取るとなんとなく円熟してくるとかね、それは何のことを言ってるんだろうというさ。どんなテーマがない人間でも歳を取ると「歳を取る」というテーマが出てくるんですよ。自分の人生の終わりが見えてくるというさ。そのとき初めて自分が生きるとか人間とかいうことの意味が少し見えてくるんでさ、それがやっとテーマになるというさ。
僕がいま言ってるテーマというのはそれ以外の話。だから普通の人間でもだんだん歳を取ると自分のテーマが見えてきて当たり前なんですよ。監督も同じだから。だからあと30年もすればごく自然とテーマが見えてくるはずです。そこまで持続してればだけど。それ以外に自分が巡り合った時代のなかで自分が見つけ出したテーマというさ、それは一種宿命的なもののはずなんだけど。そういう意味で言えばいまはそういうものが見えにくい時代というのは確かで、とりあえずコピーを繰り返すなかで歳を取るのを待つしかないんじゃない、という気はしますね。それはほかの若い監督たちもみんなそう。ひとりだけ突っ張ってるのは神山(健治)ぐらいのもので、自分は時代に喧嘩を売っていこうというところで作ってるわけだけど、それは好感は持てるんだけど、それもなんかちょっと違うんじゃないかという気がしてるよね。以前まではある種そういう感じは好感が持てたんだけど、最近違うのかなあという気はしてます。
――ありがとうございます。ではいよいよなんですけど、宮崎駿監督について思っていること、作品についてなどお聞かせいただけますと。
押井:あのさ、ずいぶんあちこちでしゃべったんだけど、結局活字にならないんですよね。それがつまりいまあの人が置かれている、ある種の状況なんだと思う。一種のタブーになっちゃってるというかね。それは映画監督にとって決していいことじゃないんですよ。たぶんどのメディアにとってみても、あの人を批判することで利益にならないというかさ。あの人はいまみたいに偉い人間である限り、どこかしら利益につながっていくというさ、そういう構造にはまっちゃったから。だからもう、かわいそうだと思う。僕はさんざん悪口言ってるんだけど、僕が悪口を言わなくなったら本当に誰も言わなくなるだろうと思って言ってるだけで、それはたぶんあの人の耳にも届いてないだろうし、たぶん誰の耳にも届いてないんだろうけど。僕のまわりの人間はみんなうんざりしてるけど。それはさ、やっぱりなんかね、ほとんど鈴木敏夫のせいですよ。90%ぐらいかな。で、残りの10%は宮さんもその気になっちゃったんですよ。「俺ってやっぱりすごいものを作ったのかな」というさ。僕が初めて会った頃は『(ルパン三世)カリオストロ(の城)』のあとだったけど、やっぱりなんかね、「とんでもないものを作っちゃいました」という――監督ってさ、そういう間は本当に自由なんですよ。「でも楽しかった」ということなんだよね。だけどいまはある種の期待のなかで作らざるを得ないというさ。自分を演じるしかなくなっちゃう。それがどんどん行けば自分のコピーを繰り返すことになるんでさ。あの人がさんざん批判してきたことなんだよね。「コピーはダメなんだ」というさ。僕はべつにコピーでも構わないと思ってるんだけど。だからいまはかなり隔離されて生きてるというかさ。隔離してる張本人がいま帰ったけどさ、それはやっぱりあの人は世間で言ってるような人とだいぶ違いますよ。僕は20年以上付き合ったけど。めちゃくちゃな
人だからさ。そのめちゃくちゃなところがあの人のいいところで、寄ってたかって人格者とか巨匠にするなという話なんだよね。1回だからすごいスキャンダルでも起こっちゃえばいいなと思ってるんだけど。そうするとかなり自由になると思う。
よく言われてるけどあの人のダークサイドみたいなのをさ、1回解放すればいいんだと思う。『ハウル(の動く城)』のときはそれが一瞬出たんですよ。だから「行くのかな?」と思ったわけ。だから好きなんだけど。でもそのあとまた元に戻っちゃったの。だから『(崖の上の)ポニョ』みたいなのが一番ダメなんで。自分のなかの愛すべき面のはずなんですよあれは。でもそれちょっと見方を変えると相当グロテスクな話になるんで。で、そのことに気がつかないから。契機がないから。実際あれは本当にかなりグロテスクな話なんで。監督って自分のなかのダークサイドの部分というか、さっき言った4分の1のカチャカチャの黒い25%の真っ黒な部分(※MM編注/詳細は次回以降掲載のニコ生本編でご覧ください)、あれを絶えず意識しないと、自分のなかでだんだんバランスが取れなくなる。僕の場合はラッキーにもというか、宮さんの100分の1しか売れてないし。ただたまたま海外でそれなりに虚名を売っちゃったから、だからまだ仕事ができてる。本来だったらとっくに干上がってる。売れない監督でいるという選択肢も僕はあると思ってるんだよね。で、売れない監督であっても構わないんだけど、撮れない監督であってはならないというさ。売れないけど撮れるということが本来は監督にとっては理想なんですよ。一番自分が自由に映画に関われるというさ。「そういうふうな方法はなにかないかな」と思ってずっと生きてきたわけで。それでいろいろな方法論を編み出したわけで、そのおかげでいまでも撮れてますというさ。さすがに『スカイ・クロラ』が終わって3年間なにも決まらなくて「そろそろ自分のやり方通用しないのかな?」ってさすがにちょっとあせったんだけど、ここのところ立て続けに決まりかけてるんで。
「売れなくても撮れるのかな?」という話になるんだけどさ、撮れるんですよ。(ジャン=リュック・)ゴダールというおじさんがいて、あの人は黒字になった映画って最初の『勝手にしやがれ』だけなんだよね。あとは全部赤字なんですよ。でも百何十本撮ってるの。いまだに撮ってる。2000万とか3000万とか安い映画だけど、いまだに撮ってる。で、僕はカンヌに行ったときにゴダールの新作をひさしぶりに見たんだけどさ、もう日本では配給されてないから。驚いたことにうまくなってる。進化してるんですよ。びっくりした。編集がとにかくうまくなってる。これがやっぱり監督なんだよなという感じなんですよね。もちろんたいした規模の映画じゃないですよ。3000万ぐらいかな。東ヨーロッパを撮った作品だったんだけど。やってることは全然変わらないんだけど。相変わらずめちゃくちゃやってるんだけどね。それが僕にとっては理想なのかなという。ただアニメーションの場合はね、2000万、3000万ではいいものは作れないから。あるクオリティというのは実現できない。確かに違う方法論が必要なんだろうけど。でも売れないけど撮れてる監督というのはじつはいるんですよ、世界中に。それは要するに芸術家とかそういうことじゃなくて。僕はべつに自分が芸術で作ってるとは思わないし、ギリギリのところではエンターテインメントの人間だと思ってるから。まあ、スレスレかもしれないけど。だからまあ、いつも裏切られたという話になるんだけどさ。
――(笑)。
押井:でもまたつぎは撮れる。もしかしたらつぎはもうちょっと面白くなるのかなとかね。あとアクションだけはいいとかさ、そういう話になるわけじゃん。それもふくめて監督として映画を撮るということはさ、つぎを撮る以外にテーマはないんですよ。宮さんはとりあえずいま成功することでつぎを撮ってる。それはね、あまりいい方法じゃないなという気はするわけ。2000万人も入ったあとで1000万人が入ってもさ、「ダメになった」と言われるわけだよね。それってはたして監督としていい勝負をしてるんだろうか、というのが僕のテーマ。だから『イノセンス』も18億ぐらいで撮ったけど、逆に『真・女立喰師(列伝)』とか逆に今度500万で撮ったりとかね、そういうふうになんでも撮れるのが監督として一番幸せだし、やりがいがあるしね。絶えず自分が作る映画がいま自分が抱えてるテーマであり続けるというさ。それはね、必ずしも世界で成功するというこ
ととちょっと違う要素があるんだというさ、気がするわけ。
――ありがとうございます。そろそろ時間も迫ってまいりました。今後の押井さんのメルマガで発信していきたいこと、今後の抱負のようなものを最後にお話しいただいて締めとしたいと思います。
押井:うーん、とりあえずいままでは映画を撮ってる人間だから、自分が言いたいことは映画のなかで言えばいいんだというさ。だから政治向きの話とか時事向きの話とか、いっさいしゃべらないでいようと思ってたわけ。僕は選挙に行ったことがない人間だし、なぜ行かないかと言ったら僕は映画を作ってる人間だから。映画を作るとか小説を書くとかそういうことで世の中と関わる人間なんで。実生活ではいわばなにもないというふうにさ、そうあるべきだと若いときからずっと思ってた。だから選挙権を持ってから1回も選挙に行ったことないんですよ。ただ最近少し考えが変わったのは、選挙行ってみようという話じゃなくて、僕も60過ぎて「つぎいつ映画撮れるかしら」という問題でもあるんだけど、言いたいことを言って死んだほうがいいんじゃないかと思い始めたわけ。たぶん3年前だったらやらなかったと思う。いま世間で問題になってる話に関して自分がどう思ってるかとかね、それは自分が作る映画と関係ないと思ってたの。ただちょっと感じが変わってきたというのは、たぶん歳を取ったからだと思う。いつもテレビのニュースを見ながらずっとブツブツ怒ってるんで、うちの奥さんなんか「いい加減にしろ」っていつも言うんだけどさ。だったらいっそのこと全部言っちゃおうかなというさ。言うにしてもさ、言ったってどうせ活字にしてくれないから。テレビはもちろんダメだし、ラジオもダメに決まってるし。で、雑誌というのは僕がしゃべったことはそのまま滅多に出ないからさ。だからメルマガって形式はね、僕もじつはメルマガ購読してるのがあるんですけど、読みたい人がお金を払って読むものだからいくらしゃべってもいいわけだし、聞いてみたいと思ってる人間が聞くわけだから、パブリックな世界とはちょっと違うわけだよね。だからそういう意味で言えば言いたいことをこういう形式で毎月毎月しゃべっていくと
いうのはやってもいいかなと思った。単純にそれだけ。
――今日は長時間に渡りありがとうございました。
押井:どうも。
『押井守ブロマガ開始記念! 世界の半分を怒らせる生放送/押井守×鈴木敏夫×川上量生』完全テキスト版は、押井さんのブロマガに数回に分けて掲載されております。押井守の「世界の半分を怒らせる」。
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