今回は武田邦彦さんのブログ『武田邦彦(中部大学)』からご寄稿いただきました。
■新・幸福の杖(5) 結婚制度は憲法違反か?(中部大学教授 武田邦彦)
集団自衛権を巡って国会で盛んに議論されている。本来、軍隊をもってはいけないので、集団自衛権などはとんでもないように思うけれど、憲法解釈でどうにでもなると首相は言いたいようだ。
ところで、男女の関係も少し基本に立ち返ってみると、現在のような≪固定的な結婚制度≫自体に無理があるような気もする。
もともと男女の関係は「法律」とは関係がない。たとえばラット(ネズミ)は籠の中に年頃のオスとメスを一緒に入れておくと、そのうち交尾して子供を産む。その後、何もなければ離婚もしないし、ケンカもあまりせずに子供に餌をやり、幸福そうな毎日を送る。
獰猛と言われるオオカミはさらに模範的だ。春になると縄張りから遠く離れた狩場にいって大勢のオオカミと一緒に狩りをする。その時にであった異性と結婚し、縄張りを守り、子供を育て、時には嫁いだ娘の夫が死んだりすると出戻り娘まで引き取って一家で敵と戦い、懸命に生きる。
オオカミはまず離婚しない。法律や宗教で縛られているわけでもなく、離婚したら慰謝料がどうのとか言うこともないのに、決して離婚しない。もともと結婚していない(事実婚)なのだから、いつでも別れることができるのに決して別れない。
偉いっ!
考えてみると、憲法で「両性の合意のみに基いて成立し」とされているのに、やれ婚姻届け、やれ内縁、挙句の果てに離婚まで社会的な糾弾を受けるというのはどういうことか? 憲法違反と思われる。
婚姻届を出していない状態を「事実婚」と言うらしいが、「事実婚」が「憲法の精神にのっとった結婚形式」であり、役所がいちいち男女の関係に口をはさむから離婚訴訟や男女共同参画などの騒ぎが起きる。
結婚したのだから、幸福な家庭を築き、子供を必死に育てるのは動物として当然のことで、動物の最上位にいる人間がゴタゴタしているのはみっともない。結婚してからもめるなら、オオカミ以下だ。
人生は、1)自分の人生、2)次世代のための人生、の二つがあるけれど、動物は自分のためには生きることができない、というのか自分自身のために生きる人生はどこか空しい。
でも、それは自分に子どもがいるかどうかではない。戦争がはじまったら「独身男性が戦場で突撃して死ぬ」のは、自分の子供のためではないからだ。日本民族のため、郷里のため、そして隣近所のため、姉の子供のために死んでいったのだ。
今でもそうで、人間と言う集団性の動物は、誰かのためになっていることが大切で、その「誰かのため」というのは、もちろん自分の子供、自分の連れ合い、自分の親友、自分の知り合い・・・タクシーの運転手、電車の車掌さん、なじみのラーメン屋のおやじ、公共施設のトイレを掃除してくれるおばさん・・・その中で自分が生きているからだ。
だから、結婚という制度があっても無くても、事実婚、卒婚、内縁などもあるはずもなく、「両性の合意のみ」で一緒に生活をし、子供を作り、育て、どちらが損だとか得ということもなく、どちらの役割だとも言わず、黙々とやるべきことをやって平和で幸福な生活を送ることだろう。
もう少し踏み込んで、短期間の事実婚関係とか、よりフリーな男女関係が良いかどうかは少し考えてみなければならない。ともかく多くの人が気軽に、もめごとが少なく幸福な人生が送れるような人類にわれわれが成長する日はいつのことだろうか?
執筆: この記事は武田邦彦さんのブログ『武田邦彦(中部大学)』からご寄稿いただきました。
寄稿いただいた記事は2014年02月27日時点のものです。
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