私は大晦日だ。
三度の食事をし、玄関先の雪をかき、風呂へ入るほかにこれといった用事もない人々まで気ぜわしくさせている、大晦日だ。どうにかこうにか遣り繰りしながら、ともかくこの一年を生きた者、万事が好都合に運び、悉く願いが適って思わず知らずにんまりする者、仔細があって一時身を隠さなくてはならなかった者、父親から直伝された技をしっかりと身につけ、職人として独立した者、内因は差別にある、と手応えのない世間へ向って声高に叫びつづけた者、早計に失して浅見を恥じた者、他人のなかに肉身に彷彿とした面影を発見して、やみ難い望郷の念に駆られた者、然るべく計らい、如才なく立ち回ったにもかかわらず、何ひとつとして成果を得られなかった者、生来の美質である才知のひらめきがいよいよ結晶し始めた者、あれは善意に基づく行為であったと七カ月間も言い張った者、産道を限界まで押し広げてまほろ町に淀む空気を初めて吸った者、迂闊に近寄った神に取り込まれて一心に祈りを捧げなくてはならなくなった者、病褥を離れる日を夢見て早十年経つ者、そんな人々は否応無しに私によってひと区切りをつけさせられる。そしてかれらは、きょうの延長ではないあしたへ駆けこむ肚を固め、来年への期待を呼びこむバネにしようと、気持ちをぎゅっと引き締める。
少年世一はきょう、自分の部屋を隅々まで掃除し、鳥籠をぴかぴかに磨き、我を忘れた。
(12・31・日)
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