批判しているだけじゃ解決にならない 仮説としてこれは好奇心にも通じることだが 「日本人は痛みを快感と感じやすい脳構造を持っている」 好奇心というのはいわば自分の思っていることと違う考えにあったときにそれを快感として深く探求する能力だ 自分の常識と違うことを言われたときに純粋に痛みと感じ,怒る人には何も新しい発見をすることはできない 日本語に訳されている外国語が英語に訳されている外国語よりも多いことが日本人の好奇心の表れだ ところで実は脳内ではこの快感と痛みを明確に区別できない。それどころか訓練次第ではこの2つを同時に 与えることでより大きな快感を得ることができる,いわゆるツンデレってやつだ。 このツンデレの構造はあらゆる世界にある。 料理におけるお汁粉に入れる塩とか 音楽におけるドミナント(ツン)後のトニック(デレ)とか で,過労死の場合は 仕事の疲れ(ツン)と だんだん完成していく意味での,仕事のちょっとした成功(デレ) だ。この2つの組み合わせで超快感が得られ,それこそ死ぬまで働く。 これが私の提唱する過労死のプロセス。
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ガジェット通信
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批判しているだけじゃ解決にならない
仮説としてこれは好奇心にも通じることだが
「日本人は痛みを快感と感じやすい脳構造を持っている」
好奇心というのはいわば自分の思っていることと違う考えにあったときにそれを快感として深く探求する能力だ
自分の常識と違うことを言われたときに純粋に痛みと感じ,怒る人には何も新しい発見をすることはできない
日本語に訳されている外国語が英語に訳されている外国語よりも多いことが日本人の好奇心の表れだ
ところで実は脳内ではこの快感と痛みを明確に区別できない。それどころか訓練次第ではこの2つを同時に
与えることでより大きな快感を得ることができる,いわゆるツンデレってやつだ。
このツンデレの構造はあらゆる世界にある。
料理におけるお汁粉に入れる塩とか
音楽におけるドミナント(ツン)後のトニック(デレ)とか
で,過労死の場合は
仕事の疲れ(ツン)と
だんだん完成していく意味での,仕事のちょっとした成功(デレ)
だ。この2つの組み合わせで超快感が得られ,それこそ死ぬまで働く。
これが私の提唱する過労死のプロセス。