REN-AI【恋愛】完全版(1)(秋田文庫73-1)

 高河ゆん『REN-AI』の文庫版が発売されました。

 否、しばらく前に発売されていたことにいまようやく気づきました。

 愚かにもいままで気づかなかったということですね。

 ともかくなんとか気づいたので即座に購入しました。

 ぼくはこの漫画が好きで好きで好きで――ほかのどの漫画よりも好きだといっても過言ではないくらいです。

 単に高河ゆん全盛期の最高傑作のひとつというだけではなく、個人的にものすごく相性がいい作品なのですね。

 あえて順位を付けることにどれほどの意味があるかはわかりませんが、もしランキングするならぼくの漫画人生における堂々の首位ということになります。

 それほどまでにぼくはこの作品を高く評価しているわけです。

 ところが、どこがそんなに良いのか? 面白いのか? というと、これがよくわからない。

 じっさい、ぼくがこの漫画を薦めた人たちは大抵、微妙そうな態度を見せます。

 それほど面白いと感じないらしいのですね。

 とはいえ、ぼくは直感的に「これはすごい」と感じましたし、自分の感覚には確信があります。

 ぼくがすごいと思った以上、すごい漫画であるはずなのです。

 しかし、初めて読んでから十数年経って、最近ようやくこの作品のすごさを言語化できるようになって来ました。

 『REN-AI』という作品の魅力、それは一にも二にもその「圧倒的な真剣さ」にあるのだと。

 この漫画の物語は主人公の少年があるアイドルの少女に恋をするところから始まります。

 それも、どこかで偶然出逢って恋をするとかではない。テレビ画面のなかの彼女を見て、それだけで熱烈な恋に落ちてしまうのですね。

 そして、かれは彼女の心を射止めるために自分もひとりのアイドルとして芸能界に入っていきます。ほんとうは芸能界にもアイドルにもなんの興味もないのに。

 常識で考えたらありえないというか、異常な展開ですよね。

 もちろん、テレビ画面のなかのアイドルに恋をする男はいまも昔も大勢いるけれど、だからといって本気でアイドルと恋愛できるなどと考える奴はいない。

 もしいたとしたら「痛い奴」でしょう。

 しかし、この主人公、田島久美は不可能な恋を実らせるためにあくまで真剣に行動するのです。

 フィクションの筋書きとはいえ、あまりにあまりの話といえばそうなのですが、これが面白い。

 なぜ面白いのか。結局、「本人が真剣だから」としかいいようがありません。そしてきわめて大切なことに、作家も真剣なのです。

 ぼくはそういう真剣な話が好きです。というか、真剣な話しか読みたくない。

 どれだけばかばかしく見えようとも、真剣な作品にはすごみがあります。

 もちろん、的を外していればただ滑稽でしかないのですが……。

 そう、真剣な作品を書くということはある種のリスクを引き受けることでもある。

 真剣な作品を書くとき、ひとは「言い訳が利かない」のですね。

 わかってもらえるでしょうか。「こんな恥ずかしい作品をあえて書いてみました」という逃げの態度を取るなら、そこにはいくらでも「言い訳の余地がある」わけです。

 たとえほんとうに失敗したのだとしても、「わざとそういうふうに見えるようやったのだ」といいこしらえることが可能なわけですね。

 ですが、何もかも真剣な作品ではそういうわけにはいきません。

 「こんなのが恰好いいと思っているのかよ」といわれたら、作家は「そうだよ。これを格好いいと真剣に思っているよ」と答えることしかできないでしょう。

 真剣な作品を書くとは、揶揄や嘲弄や、そういったものに晒されたときも、真剣に受け止めなければならないということなのです。

 それを避けるためには、ほんの小さじいっぱい、知的な素振りを入れてみせればいい。

 「わかっているよ」、「ほんとうは何もかも自覚していて、その欠点も恥ずかしさも了解していて、その上でやっているのだよ」というインテリジェントな批評性を作品に盛り込めばいい。

 ただそれだけで、その作品の「防御力」は各段に上がることでしょう。

 いつの頃からか、そういう作品がとても増えたように思います。