弱いなら弱いままで。

『ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか』と狂気の世界。

2015/06/13 04:02 投稿

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 『ダンジョンに出会いを求めるのは間違っているだろうか』を第8話まで見ました。

 最新話に追いつくまでもうすぐ。いや、面白いです。

 「ヘスティアさまの紐」が話題になっていることだけは知っていたものの、特に興味ももたずここまで放置していたのですが、これはたしかに素晴らしいですね。

 ただのおっぱいアニメに留まっていないものがある。

 お話の構造としては非常に普遍的な王道の力強さを感じさせます。

 無力な少年が力を望み、成長していくストーリー。

 元々は「小説家になろう」の投稿作品だったらしいのですが、たしかになろう的でありながら独自の設定と物語で魅せてくれます。

 特別にオリジナリティを感じさせるわけではないのですが、オーソドックスであることの強みがうまく作用しているように感じられますね。

 ヘスティアさまを初めとして女の子たちもみんなきれいで可愛いし、これはいいアニメだなあ。

 まあ、それだけといえばそれだけといえなくもないので、わずかに物足りなさを感じさせもするのもほんとう。

 しかし、この先、おそらくは力を求めて変わっていくであろう少年の物語には、先を期待させるものがあります。

 古来、少年はより強くあろうともがくものです。

 少年漫画がしばしば「バトル・トーナメント」の形式に収斂していくことでもわかるように、「強さ」こそは少年が追い求める最高の夢。

 ですが、純粋に「力」を追い求めていく過程で、ひとは変わっていかざるを得ません。

 だれより強くあるということは、操り切れない凶器を抱えて生きるに等しいからです。

 その「力への欲望」の物語は、いままでも金庸の『秘曲笑傲江湖』、あるいは山田風太郎の『魔界転生』といった大傑作によって綴られてきたところです。

 ひとは初め、守るべき何かのために強くなろうとする。

 ところが、しだいにその強さへのあこがれは暴走し、やがては強さのために強さを求めるようになる。

 だれより強くありたい――そのためには何を犠牲にしてもかまわないとさえ思うようになる。

 それは少年の物語の果てにある領域。人倫を失った強さの先にあるものは、狂気ともいえる世界です。

 いまとなってはプレイ経験のある人は少ないでしょうが、このアニメを見ていると 

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