『人生ドラクエ化マニュアル 覚醒せよ! 人生は命がけのドラゴンクエストだ!』という本を読みました。
最高に面白い人生を生きるために。何が「自意識の牢獄」を開くのか?
『人生ドラクエ化マニュアル 覚醒せよ! 人生は命がけのドラゴンクエストだ!』という本を読みました。
いまどき「覚醒せよ!」ってすごいなと思うわけですが、ようするに『ドラクエ』をネタにした一種の自己啓発書ですね。
つまり、退屈な(あるいは苦しみに満ちた)人生を『ドラクエ』に見立てて考えることによって面白いものにしようという発想です。
著者によると、面白いゲームには三つの要素があり、それらの要素を現実に叩き込むと自然と人生はゲームらしくなってくるといいます。
その要素とは、「目的」であり、「ルール」であり、「敵」。
つまり、面白い人生を楽しむためにまず必要なのは「目的」ということになります。
もちろん、現実世界はゲームと違っていて、「あらかじめ設定された目的」がありません。
したがって、面白い人生を歩みたいと望むなら、自分の意志で「目的」を決める必要があります。
著者によると、その「目的」はとにかくワクワクすることでなければならない。
あたりまえといえばあたりまえでしょう。特に面白くもない「目的」を定めたところで、そこに努力し邁進しようという気にはなれないでしょうから。
まずは何かワクワクするような「目的」を決めること!
そこからしかすべてはスタートしない。それはほんとうにそうだと思うのですよね。
いま、ぼくの人生は非常に退屈であるわけですが、それは「目的」がないからなんだよなあ、とつくづく思います。
そう、自分の人生がつまらないのはどこまでも自分のせいなのであって、だれの責任にするわけにもいかないんですよね。
うーん、現実はきびしい。
しかしまあ、ぼくが人生に独創的な「目的」を設定できずにいることにも理由があります。
やはりとても叶いそうもない「目的」を設定することには躊躇があるわけです。
それはそうですよね。どんな「目的」でも設定するだけなら自由とはいえ、あまりにも高望みをすることは気恥ずかしい。
また、人生ゲームの「ルール」や「敵」は「目的」をさだめた瞬間に自動決定されるので、あまり高い「目的」を設けてしまうと必然的に過酷な「ルール」のもと、強大な「敵」と戦わなくてはならないことになります。それはいかにもしんどい。
つまり、人生ゲームを面白くするためには、まずは「適度にむずかしい」、「それでいてワクワクする」目標をさだめることが必要であるわけです。むずかしいですよね。
それだけではありません。何かしら「目的」を決定したなら、そこへ向かって努力しなければならないので、「新しい世界」を切り開いていく必要があります。
これが怖い。ひとは一般に「きびしいチャレンジ」には怯むものです。
失敗したらどうしよう。間違えたらどうすればいい? 恥をかいてしまうんじゃないか……。そんな雑念が心をよぎるからこそ、「新しい挑戦」に怯えてしまうのですね。
結局、ここでも問題になるものは「自意識」です。
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2015/06/09(火) 03:27 かよわさ、儚さ、脆さ、いじらしさ、健気さ、清潔感、透明感――フラジャイルでピティな感覚に惹かれる。
コメント
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うおお次書こうと思ってたやつとテーマが被ってすごい刺激になりました! 勇者魔王譚が解体されたあとに必要な勇者ってそこですよね。ゲーム「moon」のEDみたい。
(ID:582585)
ドラクエは実を言うとあまり好きじゃなく、マザーやmoon、最近ではデモンズ、ダークソウルとかが好きです。
そこでダークソウルで置き換えてみると、何だか個人的に一層現実に近く、それでいてかなり遠いかと。
敵も、そこにたどり着く道筋も全てがこちらを殺しにかかってきて
何度も挫折し、心折られようとも、自分が諦めなければいつかは届く日が来る
そして自分は世界を救うべく選ばれた者ではなく、諦めなかった者が最後世界を救いもし、新世界を開くことにも
たとえ辛くて道や目的が見えなくても、折れない、くじけても少し休めばまた立ち上がる。
それが人生なのかな、と