はてなの匿名ダイアリーで話題になっている記事を読みました。

 俺には生きる目的がない。夢もない。ただ漫然とゲームやアニメ等のコンテンツを浪費し、飯を食って生きながらえてしまっている。死にたい。

http://anond.hatelabo.jp/20150507012413

 あー、はい。このパターンですね。

 ペトロニウスさんがいうところの「内発性が壊れている人」の典型的な一例でしょう。

 いまの世の中、こういう人は意外にありふれているのかもしれません。

 たぶん生きるエネルギーを生み出す回路が壊れているということなのだと思うけれど、いったんこの隘路に嵌まり込むと抜け出すことはむずかしい。

 いや、その気になれば一瞬で脱出できるのかもしれませんが、本人がなかなかその気にならないですからね。現実的にはむずかしいと思います。

 なので、ぼくの結論は「可哀想だけれど、どうしてやることもできない」ということになります。

 すべては本人の自意識の問題で、しかもかれ自身にその自意識を変えようという動機がないのだから、どうにかなるはずもない。

 本人は「俺がこの詰み状態から抜け出すには、俺のことを受け止めてくれるそこそこかわいい未婚女性と、ネットやゲームに張り付くよりも楽しく生産的な何かが必要なのだろう。あと金。」と書いているけれど、彼女ができても金が降ってきても本人がいやな奴であることは変わらないから救われない。

 そして、いやな奴でなくなる努力をしようという気もないから、やっぱりどうしようもない。

 たしかに完全に詰んでいますね。王手詰み。チェックメイトです。

 ただ、その一方で本人が本心から救われたいと願うのならどうとでもなるだろうとも思います。

 結局のところ、「本人に事態を打開する意思がない」という一点だけが問題なのだから、本人が変わればいろいろなことが好転するでしょう。

 しかし、それでもひとは変われないんだよなあ。

 なんとも救われない話ではあるけれど、閉ざされた檻から出て外の世界と向き合うくらいなら檻のなかで餓死することを選ぶ人はいくらでもいるんですよね。

 ぼくはべつだん、そういう人を責めるつもりはないけれど、「助けてくれ」といわれてもどうしてあげようもない。

 なぜなら、その人を助けられるのはその人自身だけなのだから。これは、そういう種類の地獄。