ふう。一日休んでしまった。
小説は文字が連なってできている一本の線だ。一本の線には両端がある。つまりはじまりと終わりのことだ。その二つをここでは発端と結果と呼ぶ。すべての物語は発端と結果を結ぶ線なのだ。ミステリを書くならば、発端と結果はすなわち、事件の発生と解決のことである。しかしその二つを結ぶ線が平坦で何の盛り上がりもなければ読者は飽きる。一本の線をどこかで折り曲げてジェットコースターのレールのように波打たせなければならない。そうして読者の心を揺さぶる必要がある。その折り曲げるポイントを把握するため、私はいつもプロットを書く。
変曲点(へんきょくてん)とは、平面上の曲線で曲がる方向が変わる点のこと。幾何学的にいえば、曲線上で曲率の符号(プラス・マイナス)が変化する点(この点では0となる)をいう。
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コメント
創作には知識の有無といった意味での知性はそんな必要無さげ
知識しかない人が書いたら堅苦しいし教科書みたいな内容になる
例えば経営者なら組織運営や経済系のネタを作品に入れられるし医者なら専門的な知識や内部事情を物語に移せる
けどそれだけだと物語と言えない体験記にしかならないし読者に好まれる専門的な知識はどこまでか線引き出来ずに退屈させる
紙に引いた一本の曲線でも、見た目に、おもしろい曲線と、おもしろくない曲線とがあるくらいですから……。物語のストーリーラインでも同じことなんでしょうね。フラットな真っ直ぐの直線とか、サインカーブなどは、明らかに面白くない。ジェットコースターのラインみたいな線は面白く感じる。単純な落差だけでもないと思いますよ。落差でいえばサインカーブ最強のはず。
創作能力が「技術」じゃないという前提ですが、まずそこから見直すべきでは?
面白いストーリーラインを描く一連の操作は、そんなに知的な分野なのかなと。
ギター演奏における運指と同じで、優れた創作者はストーリーの取捨選択を無意識に行えるまでに習得しているわけですよね。なんとなく書けば面白くなっているという高度な領域。だとしたらそれは、なんとなく演奏すれば心を動かす演奏のできるギタリストと、脳のなかで使っている領域は同じなのでは?
ギターの演奏が知的活動ではなく技術とするなら、ストーリー創作も反復運動の果てに体で覚えこむ反射運動系の技術なのでは?
頭が良い人もギターを練習しなければギターが弾けるようにならないのと同じで、頭が良い人もストーリー作りの練習をしなければストーリーを紡げるようにならないということでしょう。
(ID:8513214)
>ひと通り物語理論を勉強してもだれもが面白い物語を作れるわけではないのはどうしてなのか?
これは単純に、理論を分析・理解する能力と、それを実践する能力は別だからだと思います。
例えば、スポーツに関する研究者が、必ずしも良い記録を出せるとは限らないように。