『タイタニア』に、矛盾の作家・田中芳樹の真骨頂を見る。
思えば25年前、当時流行していた『ファイナルファンタジー3』の主人公たちの名前を、タイタニアの四公爵から拝借した記憶がある。
アリアバート、ジュスラン、ザーリッシュ、イドリス。いずれ劣らぬ豊かな才能を持ち、20代にして全宇宙を睥睨する立場にある若者たち。
『タイタニア』はこの俊英ぞろいの四公爵と、かれらの上に立つ藩王アジュマーン、そして期せずして「反タイタニア」の象徴になってしまった天才戦術家ファン・ヒューリックを中心に語られていく。
およそ200年にわたってタイタニア一族の専横が続く「パックス・タイタニア」の時代を舞台に繰りひろげられる支配と叛逆、戦乱と謀略の物語。
はるかな未来を舞台にしているにもかかわらず、ほとんどSF的な意匠が登場しないことも含めて、まさに『銀河英雄伝説』に続く「田中スペースオペラ」の典型かと思わせる。
『タイタニア』の前作にあたり、いまなお傑作として歴史にその名をとどろかす『銀英雄伝』は、対等なふたつの巨大勢力、そしてふたりの主人公の戦いを描いていた。
『タイタニア』も一見するとその規範を踏襲しているかに見える。しかし、全5巻の物語が中盤に至ると、しだいに『タイタニア』独自の個性が見えて来る。
つまり、これはあくまでタイタニアと呼ばれる人々を中核に据え、「タイタニアとは何か?」をテーマに据えた小説なのだ。その意味で『タイタニア』は決して『銀英伝』の亜流ではない。
いや、ほんとうはもっと決定的なポイントで『銀英伝』と『タイタニア』は異なっているのだが、それについては後にしよう。
個人的な見解だが、田中芳樹のすべての作品は権力志向的な人物を中心に置いた作品と、そうではない人物を主人公にした作品に分かれる。
まさにその両者の対立と対決を描いているのが『銀英伝』であるわけだが、『タイタニア』はほぼ前者に属する作品だといえる。
ほぼ、と書くのは一向に権力に目覚めないファン・ヒューリックという人物が主役級の活躍を見せるからだが、全編が完結したいま考えてみると、やはりヒューリックはこの物語の主人公とはいいがたく思える。
むしろ、この長編にただひとり主人公というべき人物がいるとすれば、それはジュスラン・タイタニア公爵だろう。
宇宙を支配するタイタニア一族の血統に生まれながら、タイタニアとして生きる自分に疑問を抱くこの青年は、そのきわめて思索的な性格で強い印象を残す。
かれ自身は権力にそこまでの価値を見いだしていないものの、権力の中枢に生まれ、また激しい権力闘争のなかで生きのこる才覚に恵まれたために否応なく宇宙屈指の地位を得ることとなったジュスランや、かれと同格の実力を持つアリアバートを主役に据えたことで、『タイタニア』は権力をめぐる物語となった。
もっとも、この小説にただひとりで全宇宙を統一できるような「天才」は登場しない。タイタニアの藩王アジュマーンにしろ、かれの下の四公爵にしろ、傑出した才能のもち主ではあるものの、人類史に冠絶する天才とはいいがたい。
作中、唯一「天才」と称されるファン・ヒューリックの才能は限定的なものである。その意味で『タイタニア』とは、いわば二流の役者たちが演じるオペラであり、ここにはラインハルト・フォン・ローエングラムも、ヤン・ウェンリーも不在なのだ。
しかし、だからといって即座に『タイタニア』が『銀英伝』に劣るということにはならない。むしろ、不世出の英雄たちの「伝説」を綴った『銀英伝』の後に、かれらより才能的に劣る人物たちを主役にした物語を書こうと考えた田中芳樹の発想は一驚に値する。
この人は、『銀英伝』を書き終えた後に、『銀英伝』と同趣向で、それよりもっと壮大なスケールの物語を書こうというふうには考えなかったわけだ。
それでは、『銀英伝』に続く『タイタニア』で田中芳樹が描こうとしたものは何だったのか。そこを正確に捉えられなければ『タイタニア』を的確に評価することはできないだろう。
それに対するぼくなりの解答をいわせてもらうなら、『タイタニア』とは権力を巡る無数の矛盾を描いた小説である、ということになる。
『銀英伝』は「戦争」を主題に置き、戦争の天才同士のやり取りを綴った作品だった。しかし、『タイタニア』のテーマはむしろ「権力」にあり、だからこそ戦争の天才であるところのファン・ヒューリックは脇役に留まることになった。
それなら、田中芳樹はこの作品のなかで、権力に取り憑かれた者の愚かさを描いているのか、それとも権力を目指す野心家たちの競演を肯定的に綴っているのだろうか。これが、実は単純ではない。
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コメント
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こんにちわ、海燕さん。
ますだじゅんと申します。
SFやアニメなどが好きな人間で、海燕さんのブログが「日刊海燕」だったころから拝読しております。
今回のタイタニア評も面白かったのですが、山本弘作品について異論があります。
山本弘作品には、「人間はだめだ、ロボットやミュータントに希望を託すしかない」という作品(アイの物語)もありますが、決してそれだけではありません。
海燕さんは「僕の光輝く世界」「BISビブリオバトル部」を読まれたことがないではありませんか? いずれも山本弘が「アイの物語」以降に書いた作品です。
「僕の光り輝く世界」は、頭に重傷を負って普通の人間とは違う世界が見えるようになった少年が、イジメや家族の悪意、殺人事件などの辛い出来事の中でもめげず、未来を信じて、(特別な世界が見える能力を活用し)がんばって生きていく物語です。青春ドラマとしてもミステリとしてもできがいいし、胸がすっとする読後感のある作品です。
「BISビブリオバトル部」は、元いじめられっ子で、SFが好きだけど理解者がいないせいで心を閉ざしていた少女が、ビブリオバトルという「本を紹介する競技」に出会い、ライバルや先輩に導かれ、好きな男の子もできて、過去を乗り越えて勇気を持って変わっていく物語です。
いずれも、人間に対する批判的視点はありますが、「でも人間はダメな部分を乗り越えることもできる」という希望に満ちています。
「僕の光り輝く世界」の主人公は、ある意味ミュータントかもしれませんが、「BIS」の主人公は、ただSFが好きなだけの平凡な少女で、それでも「希望を託しうる存在」として描かれている。
理想を持った人間が現実とのコンフリクトに苦しみ、それでも一歩一歩進んでいく様を肯定的に描く、という、まさにそういう描き方になっています。
山本弘が人間に絶望しているわけではない、という良い証拠です。
もし海燕さんが両作品を読んだ上で、それでも「山本弘は人間に絶望している」という結論ならば、仕方ないのですが、読まれていないのでしたら、ぜひおすすめします。山本弘のイメージが大きく変わることを保証します。
それでは失礼します。