ほんの些細なことからでもカンのいい人は真相に気づくだろうから、あまり気軽に書く気になれない。
しかしまあ、「ノラネコの呑んで観るシネマ」でも高評価のレビューが挙がっていることだし(http://noraneko22.blog29.fc2.com/blog-entry-762.html)、ぼくも書かなければなるまい。
ちなみにノラネコさんは「ジャック・フィニイ辺りが好きな人は絶対はまると思う」と書いているが、観ていてぼくもまさに『ゲイルズバーグの春を愛す』の作家を思い出した。
宮崎駿的なケレン味はほとんどなく、地味といえば地味であるものの、しずかで優しく繊細な小品に仕上がっている。おそらくひとによって評価は分かれるだろうが、ぼくは大好き。
スタジオジブリの作品のなかでも、『ハウル』とか『ポニョ』より何倍も好きですね。また、宮崎駿が口出しをしていない(らしい)ぶん、『アリエッティ』より映画的な完成度は高いと思う。
もっとも、それこそ『ハウル』の空中散歩や『ポニョ』の波乗りのようなアニメーション的な見どころがなく、あくまで淡々と物語が進んでいくので、観て、肩透かしを食ったと感じる観客も少なくないはずだ。
ある意味で『アナと雪の女王』に近いガール・ミーツ・ガールの物語ではあるが、おそらく『アナ雪』のように大衆的に受け入れられることはないんじゃないかな。
「レリゴー」のようなわかりやすい短期的なカタルシスはこの作品にはない。最初から最後まで集中して観て初めてすべての描写の意味がわかり、監督の意図がわかって大きなカタルシスがある。
そういう意味では何かしらアクションがないとすぐに寝てしまう観客には向かない作品であり、正しく「映画」としかいいようがない映画だと云っていいだろう。
いつも思うのだが、この情報が飽和し、時間が細切れにされてゆく現代社会において、2時間ものあいだ観客を暗い空間のなかに縛りつける劇場映画とは、ほんとうに贅沢な芸術だ。
そういう「映画的なるもの」に対し肯定的なひとはこの映画を絶賛するだろう。逆に、次から次へと事件が起こらなければつまらないと感じるひとは、退屈だと断じてかえりみないに違いない。良くも悪くもいまどきめずらしいくらい映画らしい映画だと思う。
ぼくなどはこの「アクションの少なさ」に覚悟を感じる。凡人だったらちょっとはアクションを入れたり画面を花やかにしようとか余計なことを思うよね。観客のほとんどは「宮崎駿的なるもの」を期待して観に来ているわけなんだから。
しかし、宮﨑駿はすでに映画監督を引退してしまっているわけであり、いかに偉大であっても過去の存在だ。そういう「宮崎駿的なるもの」を無視し、自分の個性を活かした映画を作り上げることは、やはり正解だったのではないだろうか。
どうせだれも宮﨑駿の真似はできない。ならば、自分のカラーで勝負するしかないでしょう。もちろん、そうはいってもなかなかそれはできるものではない。
「ポスト宮崎駿」の期待がかかる新作に、これほどしずかな内容を持ってきた米林監督のクソ度胸に、個人的には拍手を送りたい。
とはいえ、この
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