いま、ちょっとLINEで『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』の話をしていて、これがちょっと面白いので、ぼくの意見をメモしておきます。一応注釈しておくと、あくまでぼくの意見であって、ほかの人の意見は参考にしているに過ぎません。
で、この話、『俺の妹がこんなに可愛いわけがない』で、主人公の京介が妹の桐乃に対して恋愛感情を抱いたことが納得いかない、というところから始まっています。
これが誰の意見なのかはともかくとして、非常にオーソドックスな感想だと思うのです。ぼくもそれはそうだと思う。京介が桐乃を恋愛感情として好きだという結論は、物語としてはともかく、リアルに考えた場合は納得が行きません。
何といっても、実の妹であるという大きなハンディがあるわけで、そこまで簡単に好きになるだろうとは思えないからです。これは近親相姦タブーに抵触するかというだけではなく、幼い頃からずっと一緒に暮らしてきた妹を好きになったりするか?ということまで含めての話ですね。
もっとも、作品のなかではこの問題に対して一応の回答が示されていて、「京介は桐乃と絶好していた期間が長いから、桐野を異性として認識することができた」というものです。
これはこれで、物語レベルでの辻褄は合っているのだけれど、深層心理レベルでの納得は行かない。やっぱり無理があると云えば無理がある話だとは思うんですよ。
それでは、なぜ京介が桐野に対して恋愛感情を抱いたかというと、「タイトルで存在が出ているヒロインだから」としか云いようがない。タイトル、つまり物語の外側のレベルで既に「これは桐乃の物語である」と決定されているということ。
これがつまり「物語の圧力」なのだと思う。それでは、物語の圧力とは具体的には何かということは、いつかまた話すとして。今回、興味が湧いたのは、「それでは、京介の心情はどのようにして把握すれば良いか?」ということです。
それはもちろん、京介が一人称主体として記している本編のテキストから読み取るよりほかないんだけれど、しかし、「京介は物語に書かれていないところで桐乃に対し恋愛感情を募らせていたんだ!」と云われると、「な、なんだってー!」じゃないけれど、ちょっと驚いてしまう。それはないんじゃないの、と思うところはあるわけです。
しかし、これがなしかといえば、やっぱりありかもしれないとも思うんですよね。というのも、小説とはそういうものでしかありえないからです。
本来、どんな厳密な本格ミステリであろうが何だろうが、最後の一行で「いままでのすべては嘘でした」とひっくり返される可能性は、常に残っているんですよね。
「赤文字で書かれてあることは真実である」という『うみねこのなく頃に』の赤文字ルールにしても、そもそもそのルールそのものを保証する根拠が物語中に存在しないわけだから、無意味と云えば無意味です。
仮に、何らかの根拠によって赤文字の正当性が保証されたとしても、今度はその根拠の根拠が必要とされるわけで、これは基本的には無限退行していく種類のロジックなんですよね。
だから、極論するなら、「物語のなかで描かれているすべての事実は一切信用できない」と云えなくもない。それでは、なぜ本格ミステリなどで、読者が次の展開を推理していけるかといえば、
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桐野じゃなくて桐乃ですよ!