何度目になるかわからないのですが、栗本薫の『トワイライト・サーガ』を読み返しています。これ、ぼくの最も好きな作品のひとつで、栗本さんがデビュー前に書いていたものですね。
昔、東京でひらかれた栗本薫展で、この小説の生原稿を目にしたときは感動ものでした。小さな紙に細かい文字でびっしりと書かれているのですが――修正の跡がない!
おお、なるほどこれは天才だ、と感じ入ったものです。ものすごい速度で頭のなかに降りてくるイメージを、そのまま言葉に変えているんだろうな、と。まさに物語の巫女。物語作家のひとつの理想の形です。少なくともこの頃はそれができたんですね。
さて、『トワイライト・サーガ』の物語の舞台は『グイン・サーガ』から何百年、何千年かを経た未来の世界。
まあ、じっさいには『グイン・サーガ』のほうが後に書かれているわけですけれど、とにかく『グイン・サーガ』と同じ世界の、遥かに時を経た時代を描いているわけです。
その頃、人類は既に文明の盛りを過ぎ、惑星そのものが永遠の闇へ沈んでいこうとしています。しかし、文明のともし火が及ばない草原などには、未だに健康な精神の持ち主が生きのこっていもます。
この、まさにたそがれの枯れゆく衰えゆく世界で、偉大なジェイナス神に仕える闇王国パロスの王子ゼフィールと、草原の剣士ヴァン・カルスがさまざまな冒険を繰りひろげるというのが、まあこの小説の簡単な筋立て。
合わせて十篇の短編から構成されているのですが、やはりある種の天才を感じさせることに、最初の話である「カローンの蜘蛛」において既に冒険を終え、愛するゼフィール王子と離ればなれになってしまったカルスの姿が描かれています。
つまり、その先、どんな冒険、どんな活躍が待ち受けているとしても、ゼフィール王子とカルスは別れて終わる運命なのです。
ここらへんの突き放した設定は、ある種の「若さ」を感じさせますね。のちの栗本薫であったなら、もう少し何か救いを用意したことでしょう。
そういう意味では若書きの作品なんだけれど、そのクオリティはさすがのひとこと。そこには、最近、再刊行が進んで一部で注目を集めている(かもしれない)美と退廃の作家クラーク・アシュトン・スミスの影響が濃密に伺えます。
ちなみに、同じ世界のさらに未来、もはや完全に人類が闇と悪徳に染まりきった時代を描いているのが『グイン・サーガ・ハンドブック』に収録されている短編「悪魔大祭」で、そちらは完全に淫靡な頽廃の美、死と暗黒とグロテスクの賛歌となっています。
ぼくはこの狂えるデカダンスの世界が好きで、好きで、それで栗本薫を読んでいるようなところがあるので、『トワイライト・サーガ』も「悪魔大祭」も、実に素晴らしい傑作だと思います。
もちろん、
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