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コメント
このブログのタイトルが『ゆるオタひきこもり生活研究室』であることを知った。そもそもオタとは何か研究とは何か?
オタとは二次元のマイナーの存在にイマジネーションによって多様な可能性を追求する人のことではないのか?現実に目を向ければ単なる紙の上の線やら絵の具の汚れにすぎず,そこにはキャラも世界も存在しない。研究とは何か?究極の法則を目指して現実を解読し分析しようとする人ではないか?現実的に考えれば,人の世にそのような法則などないと言わざる得ないのではないか?つまり『ゆるオタひきこもり生活研究室』というタイトルそのものに「私は理想を目指す人」ですという言明が入ってしまっているのではないだろうか?
そもそも人はミームの乗り物である以上,「理想を抱いて溺死」し,後世にその苦闘の痕跡を残す存在ではないか
>変えることのできるものと、変えることのできないものとを、識別する知恵を与えたまえ。
まあ、これが実践できればそもそもこんな議論は起きないわけでw
理想と現実、というより理想と目標というほうが個人的にはしっくりくる気がします。
あたかも理想=目標と語る人はいるが天へ一気に到達する魔法などこの世には存在しません。溺死するのは大抵この手の人でしょう。
「理想」という果てしない天を目指すにしても、まずは自分の立っている「現実」という地上から「目標」という階段を一段一段積み上げていかなければならない。どうせ目指すならハッタリでも天は「在る」と思っていたほうが前へ進む足は軽くなるんじゃないかなとは思っています。
理想世界の話をすると僕がいつも思い出すのが「素晴らしい新世界」や「ハーモニー」などのディストピア小説ですが
救われない人達のこと考えると割りとマトリックスの世界も悪くないんじゃないかと思ってしまいますね。僕の今の生活とあまり変わらないしw。
(ID:14862102)
おそらく「3月のライオン 9巻」の”高城さん状態”に陥っている人が多いのではないでしょうか?
つまり、”自分の大きさを知ってガッカリするのが怖いまま、ひたすら不安が積もる”状態です。自分の大きさ(=自分の限界、自力で変えることのできる範囲)を自覚した人は、次のステップとして 有限の中で何を選択するか というテーマに進むけれど、多くの人は その前の恐怖の海で立ちすくんでいるのだと思います。
自分に何ができるのか解らない、何もできないかもしれない、外力に無残に押しつぶされるかもしれない。その現実を受け入れろといのは「死を覚悟しろ」と似た響きがあります。
私は、その事実を他人に告げるのに躊躇してしまいます。
私自信は「この世界は残酷だ。無情だ。私は荒野の中で生きていく」という決意を根っこに据えていますが、同時に、あまりにも殺伐としている自分の世界観を、恥じてもいます。(もちろん世界は残酷なだけでは無いと、知ってますが)
私自信が誇りに思えない事を他人に伝えるのは難しいです。例え事実だと認識していても。
長文失礼しました。