いや、そもそもタイトルの時点でその可能性は否定しているんですけれどね。ひとはどう読むかわからないからね。
けれども、社会人になってからは、そんなの「何が正しいかわからない偶然の世界」で生きてサバイバルしなきゃいけないので、自分にできること、続けられることで努力しないと、努力ってものすごく苦しい地獄になってしまうじゃない? ちなみに、努力なんかしちゃだめだよーって、ことあげであって、その逆が楽をできるってのでは全くないんだよね。勘違いされると、凄い困るんだけど。人生が豊かでリアルな充実に満ちるためには、同様の苦しさや厳しさを体感していなければいけないんだよ。そんなの、当たり前だっちゅーの。ただ、それは自分が内発性が担保できる、結果がなくともいいことがなくても、やっているだけで楽しいものを探していかなければならッていこと。またここもことあげだけど、最初から楽しいだけなんてこともないからね。「繰り返すこと」「量をこなすこと」で異様な量の体験による刻苦によって、基礎土台って出来上がって、そこから本当のことが始まるんだよね。楽しいことを探そう!なんて、バカな行為はしちゃだめですよ。本当に楽しいのって、自分の中に体験を積み上げた先に来るものだから、そんな「端的に楽しいもの」なんてものはこの世界にはないからね。
http://d.hatena.ne.jp/Gaius_Petronius/20131225/p1
もう一つは、低成長で、先進国の圧倒的な財政難が基本的になった世界では、、、、まぁEUができるまでの(今でも変わらないかぁ)ヨーロッパ病の世界なんだけど、そもそも若年層が就職できないのは基本的に常識なわけ。若年層の失業率だけが突出しているのが。熟年労働者とか既得権益者が、そこを手放すはずがないの。社会の流動性は下がるのが普通なの。成長がない社会では。なので、失われた20年ぐらいの間の部分は、高度成長期との「落差」で話題になったけれども、今後は、我々の社会の常識として、あーーーそんなの普通だよねーーとコモンセンスになって行くと思うのだ。ヨーロッパは、200年はそういう社会が続いていたわけ。そしていまも。切り捨てるというほどでもなく、そもそも、若者には希望がないのが当たり前の時代になるんだ。高度成長がない、社会というのは、そういうものなんだ、そもそも。しかしここでいう、希望というのは、資本主義的な物質的な流動性や行動成長によってもたらされる希望なんだ。実は、そうじゃないものを探す時代に入ったんだ。みんな、たぶんここを混同している。アメリカなどは、すでに明らかにこういう社会になっているし、西ヨーロッパは言うまでもない。ただし、アメリカの一部や新興国は、まだ高度成長しているので、そこと比較して勘違いをしてしまうんだろう。なので、物質的水準で、幸福を買うことができない時代に入ったのだ。逆説的に言うと、1980年代くらいまでの日本では、金でかなりの部分の幸福が買えた。1950ー1980ぐらいの高度成長期の日本は、とにかく物質的な成長、、、、何よりも頑張れば報われるという、、、、実際は、頑張ったから報われたわけでもなんでもなくて、高度成長しているからほっとけば所得が上がって、社会的流動性が高いのでどんどん上のクラスを体験できて、心理的にも物質的にも、すさまじい急角度の「成長」が経験できた。それが、報われてている!!という感覚につながっていたんだ。ましてや団塊の世代などのボリュームゾーンは、常に社会の主人公だったので、多少遅れることはあっても、社会のシステムは、彼らにフイットするように再度設計されなおしていった。けど、もうそういった「成長」が当間のマクロトレンドは終わりを告げた。
時代は変わり、社会全体が「成長の近代」を終えて、「成熟のデジタル中世」へシフトしたわけです。
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コメント
(著者)
>一つ前の記事で文章について書きながら無駄だらけの記事ですね~。
まあねー。
>誰が決めたかも知れないルールとやらが変わらないと選択できないとか、結局主流に入ってないと安心できないってことじゃないですか?
まあたしかにいかなる時代であっても自分で人生を選んでいける強い人には意味がない記事です。
>それとなんでわざわざ中世なんて馴染みのない言葉から作られた造語を使ってるんですか?
……「中世」って馴染みがない言葉ですか?
ふむ、しかし好きなことをして内的な達成を目指すのは目指すので大変そうですね。
私のオタクのイメージが日常を憎み、コミュニケーションを敬遠するってのもありますが・・
>No.3
コメントをまとめなおしてみます。
「中世」という言葉はほとんどの人が聞いたことがあるとは思いますが、正しく知っている、あるいはイメージできる人は少ないため「デジタル中世」という言葉もやはりイメージしづらいだろうと思いました。
ペトロニウスさんや海燕さんなどの周囲の方々には当然の常識なのかもしれませんが、私は「中世」という言葉を聞いても「魔女狩り」「暗黒時代」などの曖昧な言葉しか出てきません。というか何年から何年までを中世と呼ぶかすら知りません。ブロマガにおいても中世について詳しく述べられた記事はなかったと思うので、ブロマガ読者にとっても馴染みのない言葉だと思った次第です。
(ID:5806938)
一つ前の記事で文章について書きながら無駄だらけの記事ですね~。
どんな風に生きるべきか(生きた方がいいか)の部分以外の、ルールが何とか言ってる部分って要りますか?
誰もが経済的成功(成長)出来る時代ではなくなったから精神的な充実を求める、近頃どこそこで聞く話です。でも結局世の中の主流がどうなったか言ってるだけじゃないですか。「成長の近代」には成熟を目指すことが禁止でもされていたんですか?誰が決めたかも知れないルールとやらが変わらないと選択できないとか、結局主流に入ってないと安心できないってことじゃないですか?
それとなんでわざわざ中世なんて馴染みのない言葉から作られた造語を使ってるんですか?多くの人がその時代を生きたことが無いどころか歴史も文化もロクに知らないのに。