ネットの一部で好評を博した熱血美少女フィギュアスケート小説「銀盤カレイドスコープ」よもやの第3弾である。前作が非常に綺麗に終わっているだけに、読む前にはただ続編はむりやり話を続けただけの代物になっているのではないかという懸念があり、ちょっと心配だった(ちなみにブギーポップ・シリーズの第2弾「VSイマジネーター」を読んだときも同じような予想があったが、この場合は見事に外れた)。それでは実際読んでみた結果はというと……まあまあというところか。比較する必要はないかもしれないが、前作には及ばないと思う。前作比85パーセントくらいの面白さ。はてなダイアリーのキーワードで辿った感想は好意的なものが多いので、僕の感じ方がおかしいのかもしれないが、やはりあのラストのあとでさらに物語を続けようとしたことの無理は随所にあらわれていたのではないだろうか。
文章における無駄とは何か。
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年末で暇なのでまだまだ更新しちゃうよー。いや、ほんとうは部屋の掃除をしないといけないのだけれど、現実逃避で仕事をすることにします。リアルはクソゲーだー。
さて、先にリーダビリティの記事を書きましたが、文章の書き方については、色々色々、ほんとうに色々と思うところがあります。
いま書いているこの文章は、長年の試行錯誤の結果、出来上がった文体を採用しているのですが、ここにたどり着くまで実に長かったんですよね。
もちろん、これも発展途上のスタイルでしかないわけで、ここからさらに変わっていくはずなのですが、とにかく昔と比べたら歴然とうまくなっているはず。
この場合、他人と比べる必要はなく、過去に対して上達していればそれでいいのです。それでは、どこが変わったのか。具体的にいうと、無駄が少なくなっているはずです。
「無駄を省く」。それはあらゆる文章技巧の根底にあるベーシックスキル、基本中の基本だと考えます。しかし、それでは文章における「無駄」とは何か。
これは非常に奥深い問題だと思いますが、その奥にまで入り込んで考える能力はないので、ここではとりあえず「そこを削っても意味情報に変化がない文章中の箇所」と定義することにしましょう。
つまり、その箇所があってもなくても同じ情報が伝わるのであれば、それは「無駄」であるといえるわけです。シンプル・イズ・ベスト。この種の無駄をどんどん省いていくことが文章上達の第一歩です。
ぼくも昔はほんとーに無駄だらけの文章を書いていましたが、最近はわりと気をつけているので、無駄は相対的に減っていると思います(見る人が見ればまだまだ無駄だらけなんでしょうが)。
昔の文章をいま直すとマジで半分になりますからね。いかに無駄だらけの文章を書いていたか。恐ろしい話です。
具体的な例を挙げてみましょう。いまからほぼ10年前の2004年1月に書いた『銀盤カレイドスコープ』の感想を持ってきてみます。
見るからに冗長ですねー。これをいまの視点で削ると、どうなるか。
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コメント
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こういう風に具体例を挙げてもらえると、分かりやすくてありがたいです。大きく分けた3つ以外にも、いくつか削られていますね。参考になります。