人生は偶然でたやすくねじ曲がる。傑作小説『無職転生』の魅力とはなにか。
ペトロニウスさんが『無職転生』の記事を書いておられますね。
『無職転生』は、現在、小説投稿サイト「小説家になろう」でランキング首位の作品です。
もうぼくの仲間内では、読んでいることがあたりまえくらいのウルトラメジャータイトルなのだけれど、よく考えてみれば、知らない人も大勢いて当然なのですよね。時々、忘れそうになります。
前の記事のコメントでもたまたま読んでみた『無職転生』が面白くて驚いた、というご意見をいただいています。
この小説、ある無職無収入のひきこもり男が異世界に生まれ変わって人生をやり直すという筋書きです。
「なろう」では超よくある「人生やり直しもの」であるわけですが、通常、この手の小説が「二回目の人生」であることを活かしたチート能力で活躍する展開に至るのに対し、『無職転生』ではそうはなりません。
いや、たしかに初めはチートがあるのですが、それがしだいに通用しなくなっていくんですね。ここらへんは実に緻密に構成されていて驚かされます。
主人公であるルーデウスくんは初め、「今度こそ良い人生を送る」と誓い、そのためにあらゆる方策を用いて人生を構築していこうとします。
いわば「計算」で人生を生産的なものにしようとするわけです。しかし、かれの「計算」は「予測不能な現実」によって否応なく変えられて行きます。
具体的には「ターニングポイント」と呼ばれる章で大きく人生がねじ曲がるのですが、それ以外にも小さな計算違いがあって、予定通りにすばらしい人生を送ることはできないのです。
もちろん、予定とは違う人生もそれはそれで幸せだし、興味深いものではあるのですが、とにかくルーデウスの策略や戦術は必ずしもうまく行きません。
ルーデウスはじっさい相当頭が良く、色々なことを計算した上で、計算外の出来事を淡々と受け止め受け入れて努力するのですが、それでもどうしようもないことは起こります。
それも、ほんの小さなことを見過ごしたために人生全体が大きく狂ったりするんですよ。
ここでようやくペトロニウスさんが書いていることに追いつくのですが、この作家はほんとうに、人生の偶然性をよく理解している。
人生は、それがどんな人生であっても、あらかじめ計算してその通りに送ることができるようなものではないということ。
ひとはちょっとしたキッカケで堕ちてゆく――そして一生涯、浮かび上がれないこともある。その怖さ。
『DEATH NOTE』の夜神月の有名な「計算通り」というセリフみたいなことは、現実の人生にはまず起こりえません。どんなに細かく考えてその通りに生きようとしても、必ず、予想外のアクシデントは起こるのです。
もちろん、そうだからこそ『DEATH NOTE』にはカタルシスがあるわけなので、これは批判ではありません。
ただ、よりリアルに人間のライフストーリーを構築しようとしたら、どうしても「偶然性」の物語を綴ることになるという話。
ある些細な出来事をキッカケに、ひとはどのようにでも堕ちていくし、また再生もする。人生はその人が偉いとか、愚かだとか、努力しているとか、怠けているとかいうこととはべつのところで、いともたやすくねじ曲がったりするわけなのです。
たとえばスティーブ・ジョブズのサクセスを、ひとは「必然」と受け止めます。あのひとは天才だったから、あるいは野心家だったから、紆余曲折はあったにしろ、最後には成功できたんだ、と。
しかし、かれがガンになるのがもう少し早かったなら、ジョブズはただの挫折した企業家というだけで終わっていたでしょう。
ひとの人生は、偶然の積み重ね。それを「運命」と呼ぶこともできるでしょうが、少々ロマンティックすぎるようです。
しかし、それなら、人間ができることは何もないのかといえば、
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