私が手を合わせて通りすぎようとすると、後ろから来た二人の男性がすっと遺体へ歩み寄っていった。社名が記された腕章をつけており、首から高級な一眼レフを二台ぶら下げている。全国に名の知られたメディアの記者だ。ズボンには乾いたヘドロがついており、ジャンパーは瓦礫が引っ掛かったのか背中の部分が破れていた。髪も埃と油でボサボサだ。きっと震災の日から着替えもせずに取材をつづけているのだろう。二人はカメラを遺体に向けてシャッターを押していたが、しばらくすると信じられないようなことをした。あたりを見回したかと思うと、遺体を包んでいたブルーシートを剥ぎ取り、黒くなった死に顔の写真を撮りだしたのだ。遺体は腐敗のせいで全身がむくんでいる。
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コメント
そんな命令を出す会社はやっぱりゴミ
全体をマスゴミと揶揄してるわけでもない。そもそも毎日の変態英語版記事騒動から始まったネットスラングであり、メディアの社会的責任をまったく取らないマスコミの中でもゴミのような連中という特定のメディアをさす造語で、ネトウヨなどのレッテル張りに対するカウンターでもあった。
それにしても記事の展開はまるでイアンフ問題はあくまで強制連行が問題だったのに女性の人権問題であるとすりかえて強弁する朝日のような論理に近い。石を投げられる(批判される)覚悟なしに公開の場で発言すべきではない。表現の自由とは批判する側もされる側も平等にあるのだ。
当然この記事の記者(ブロ主)も覚悟している人間であると信じている。
もったいぶって書かれたわりには
課金してまで読む価値のある話ではなかったなぁ
という気持ちです。
(ID:423915)
たとえ罵倒されるべきことをしていたとしても、無関係の第三者に罵倒する権利は
あるのでしょうか?
政治家と有権者であれば、直接の関係者でもあり思想対立の象徴ですから
互いの陣営が貶しあってもよいと思うのですが、マスコミが叩かれるのはどういう理由でしょうか?
社会の公器を名乗るということは、誰からでも叩かれるということなのですかね