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【ファンという欲望の形】

 よく有料メルマガという「場」にはブログには書けないことでも書ける良さがある、と云われる。

 たぶんそれは幻想で、ブログに書けないことは、有料メルマガでも書いてはいけないだろう。

 ただ、有料メルマガではいくらか炎上しづらいことはたしかだ。ブログという「場」は良くも悪くもなかなか書きたいことをストレートに書けるところとは云いづらくなっている。

 こういう前置きで何を語りたいかというと、人間って自分のために生きないといけないな、ということなんだけれど。

 やっぱり「だれかのために生きる」なんて欺瞞なんじゃないか。どんなに愛されたり慕われたりしていても、そのひとのために生きてはいけない。その愛はいつ憎しみや反目に変わらないとも限らないのだから。

 ぼくはそう思う。あまりポジティヴな考え方じゃないので、怒るひとは怒るかもしれないけれどね……。

 世の中には、絶対数で見れば少数ではあるが、作家とか芸能人とか、多くのファンに愛されている人がいる。

 そういう人たちは口々にファンへの感謝を述べ、かれらの期待に応えることを誓ったりする。

 でもさ、ほんとうは感謝なんかする必要はないんじゃないか。だって、そのファンの人たちは、何も純粋な善意からファンをやっているわけじゃなく、相手が自分の欲望に応えてくれるからファンを名のっているだけなんだから。

 「ファン」という言葉の語源はfanatic(狂気)にあるという話もあるくらいで、ファンの激烈な愛情を受け止めることは、楽ではない。

 だから、アーティストは、ファンなんて無視していいのだと思う。もちろんビジネスの顧客であるわけだから、相応の敬意は払う必要があるとしても、基本的には「ファンのため」に書いたり、歌ったりするべきじゃないんじゃないだろうか。



【代償を求める愛】

 大人げない考え方だろうか。そういう「ファン」の不純さを承知した上で、それでもかれらの声に応えることが、アーティストやクリエイターには要求されるのだろうか。

 でもね、ファンって