ひとはなぜ「何者か」になりたがるのか。(2068文字)
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ブロガーを仕事にしていちばん辛いのは、日常と仕事が入り混じってしまうことですね。どこまでが仕事でどこからが日常か判然としないから、いわゆる「休日」もない。完全に心が休まる日がないわけです。
まあ、反面、いつでも休日にできると云えばその通りで、一般的な会社員の方に比べて大変な仕事だとはつゆほども思いませんが、苦労がないわけでもないわけです。
それにしても、我ながらよくここまで毎日ネタがあるものだと思います。じっさい、調子が良いときは記事のネタがほぼ無限に湧いてくるように思えます。いくらでも書ける気がする。
対して、調子が悪いときはひたすら唸るばかりでまるでアイディアが湧いてきません。まあ、調子が良いと自分で思っているときもだらだらとした駄文を書き散らしている可能性は否定できませんが。
そもそもこの「ゆるオタ残念教養講座」は、特にひとつのテーマに特化したブログではありません。だから何を書いてもいいということになる。
まあ、ゆるオタネタがいちばん多いのはたしかですが、その気になれば政治経済からその日の天候、日記、雑記、何を描こうがかってであるわけです。
だからといってあまりくだらないことばかり書いていては読者に見放されてしまいますが、基本的に書いていけないことはない。ぼくはこの「何でもあり」の自由さがわりに気に入っています。
で、どうしてこういうブログになったのかと云えば、やはりぼく自身に専門がないからということに尽きるでしょう。
ぼくは作家でも学者でもなく、批評家でも研究者でもありません。在野の賢人(ストリート・ワイズ)とすら云えず、ただのバカなのではないかと思うこともしばしば。
つまりはぼくは何者でもなく、また「きっと何者にもなれない」人間なんですね。
まあ実はそれでいいと思っていて、べつに何かのスペシャリストになろうとは思わない。作家とか評論家とかいう肩書きにも興味はない。
一応、「プロブロガー」という肩書きは用いているけれど、これだってハッタリみたいなもので、実情と遠いことは理解しているつもり。海燕名義の名刺にはただ「ブロガー」とだけ記されています。
それにしても、なぜ、多くの場合、ひとは「何者か」になりたがり、単なる自分自身に満足できないのでしょう?
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