弱いなら弱いままで。

その勇気はどこから来るのか。絶対基準がない社会で無難を飛び越えてゆく天才たちの肖像。(2188文字)

2013/04/30 10:44 投稿

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 先日、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』のDVDとBDが発売になりました。Amazonなどを見るかぎり、ほぼ絶賛一辺倒だった「破」から一転、賛否両論に分かれている模様。それももう「賛」と「否」が戦争でも起こしそうなほど強烈に対決しあっている。

 いやいやいやいや、このサツバツ! これこそ『ヱヴァンゲリヲン』ですね。まあ、内容が内容ですから、殺伐とすることも当然といえるでしょう。

 ひたすらに憂鬱だったテレビシリーズ及び旧劇場版から一転、かつてないヒロイックなエンターテインメントを演出し、時代の空気を見事に捉えたかと思えた前作をさらにひっくり返す怒涛の展開。一本すべてを主人公を落とすために使うという、娯楽映画としてふつうに考えればありえない構成。

 いずれも「まさにこれぞエヴァンゲリオン!」ながら、ついていけないファンが続出することもあまりにも当然というしかありません。いいかげん慣れている古参のファンですら「ようやる」と唸らざるをえないくらいですからね。

 「序」「破」とおおむね高評価の作品を積み上げてきて、第三作の「Q」でこの冒険、ほんとうに庵野監督及び制作スタッフの頭のなかはどうなっているのだろうと思ってしまいます。

 興行収入的には「序」も「破」も大きく超え、50億円オーバーという記録的な数字をたたき出しているのだから「勝負に勝った」といえないこともないけれど、これは多くのひとが期待した『ヱヴァンゲリヲン』ではないはず。

 もっとシンプルでわかりやすい映画を作りつづけていれば自然、平均的な評価も高くなったはずなのに、その可能性を平然と捨て、挑戦的に、冒険的にチャレンジしつづける。こういう姿勢には何かそら恐ろしいものを感じずにはいられません。

 結果として「Q」に対してはありとあらゆる批判と罵倒が集中することになったと思いますが、しかしなんぴとたりともこの作品を「無難な凡作」ということはできないでしょう。というか、これほど「無難」から遠い作品もないものと思われます。

 連載再開にあたって『ファイブスター物語』の全設定を一新した永野護もそうだけれど、常に自分の持っているすべてをベットしてさらなる展開を求めつづけるこのひとたちの勇気はいったいどこから来るのでしょう? わたし、気になります!

 いやまあ、ほんとうはわかっていることではある。「無難」という道は、最も安全に見えて、実は最もダメな道なのだということ。挑戦することを忘れたとき、ひとは死ぬのです。「いま持っているもの」を守りに入ったとき、そのひとはクリエイターとしてはもう終わっているのです。

 たとえどれほどの資産と名声を持っているとしても、それをすべて投げ捨てて「新しい領域」へ入っていけるもののみが超一流(プリマ・クラッセ)の名にふさわしい。庵野さんや永野さんはそういう種類のクリエイターなんでしょう。

 ひとはかれらを「天才」と呼ぶけれど、決して神に与えられた生まれながらの才能だけで勝負しているわけではない。むしろ、たゆまず自分を更新しつづけるそのきびしさこそがほんとうの才能なのだと思う。素晴らしい!

 

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