「有名人になる」ということ (ディスカヴァー携書)

 お笑い芸人の有吉弘行さんがソフトバンクの孫社長を抜いてTwitterのフォロワー数日本一に輝いたそうだ。そのフォロワー数、実に182万人。膨大というしかない数で、これだけフォロワーがいればこの先何があっても人気は安泰だろう。個人で超巨大メディアを持っているに等しいのだから。フォロワー数2000人以下のぼくとしては無窮の星空を見上げるような気持ちになる。

 さて、この記事はそのTwitterの話である。いま書いたようにTwitterではフォロワー数の大きな差があり、その差は100倍とか1000倍に及ぶこともしばしばだ。有名人と無名人で大きな格差がある世界なのである。

 したがって、有名人が巨大な権力を握っているのに対し、無名人はより「弱い」立場に立たされていると見ることもできる。だからこそ、有名人が無名人のツイートを「晒す」行為はモラルに反するものとして非難されることがある。有名人がその権力を利用して無名人を圧殺しようとしている、と受け取られるのだ。

 しかし、これは一面的な見方であるに過ぎない。有名人が必ずしもネットにおいて「強い」とはいえないはずなのである。まず、有名人は有名人であるが故に無名人より大きな責任を負っているものと見なされている。無名人がいってもおおらかに許されることが、有名人だと許されない。

 したがって、有名人は大きなプレッシャーを抱えながらTwitterを使っている。何かひと言でも失言をもらすと(あるいはそう受け取られる言葉を発すると)、たちまち「炎上」するのが有名人の宿命だ。これは無名人にはない特性である。