炎上中の「なろう」パロディ『チートスレイヤー』本当の問題点とは?
いま、Twitterを初めとする各種SNSで『異世界転生者殺し -チートスレイヤー-』という漫画作品が(主に批判的な意味で)話題に挙がっています。
まあ、タイトルでわかるようにそれぞれが何らかのチートを与えられた邪悪な異世界転生者に対し、主人公が復讐を繰り広げていくという物語なのですが、そのチートキャラクター各人たちにひとりひとりに具体的なネット小説発のモデルがいると思しいことが問題視されているのですね。
具体的には、こんな感じ。
うん、ほかのはまだしも「双剣の黒騎士キルト」って『ソードアート・オンライン』のキリトそのままやんけ、と思ってしまいますね☆
いや、キリトくん、べつに異世界転生なんてしていないんだけれど、まあ、チートキャラクターといえばまず思いつくのはかれであることはわからないでもない。
ただ、キリトがチートだというなら『ドラゴンボール』の孫悟空や『ONE PIECE』のルフィを初め、あらゆるヒーローキャラクターはチートだといえなくもないわけで、「そもそもチートとは何なのか?」、「ヒーローの条件とはいったいどのようなものなのか?」という問いにも繋がっていきそうにも思えますが、そこまでの深みを期待できる作品でもないだろうな。
すでにネットでは「悪質なパクり」、「愛のないパロディ」などと批判されていますが、そういった意見ももっともなのではないかとは思う。
しかし、読まないで批判することもやはり良くないので、わざわざこの作品が連載開始した雑誌『ドラゴンエイジ』を買って読んでみました。
買ってみて初めて気づいたんだけれど、この雑誌、かなり大量の「なろう系」作品が連載されているんですね。そんな雑誌で「なろう小説」に喧嘩を売るような作品を連載していて、この作者さん、忘年会パーティーとかで袋叩きにあったりしないかしらん。
他人事ながら心配になってしまいます。いやまあ、ネットではすでに炎上しているわけですが。
で、本作を読むにあたってぼくが考慮したことはたったひとつ、「一個の作品として面白いのか?」。それだけです。
この作品がいわゆる「なろう小説」を初めとする具体的な作品のパロディであろうがオマージュであろうが、それは良い。
たしかに「双剣の黒騎士」やら「ネームド・スライム」やら、あきらかに元ネタを消化し切れていない印象があるので、単純に訴訟沙汰になったら負けるのでは? 「パロディ」とか「パクり」という以前にただの純粋な「盗作」という次元なのでは? といった疑問が浮かばないこともありませんが、この際、それも良い。
いや、良くないかもしれないけれど、少なくともいち読者であるぼくが最初に考えることではない。もし単に漫画作品として面白いなら、どんなにひどいパロディであっても、それはそれで許そう。ぼくはそういうふうに考えています。「面白いは正義」。
そもそも「なろう」に限らず、既存の有名作品のパロディでヒットした漫画はいくらでもあるわけで、法的、著作権的にどうであるかはともかく、この作品だけをその文脈で非難することも何か違っているように思えます。
それで、結局、『チートスレイヤー』は面白いのか? ……うん、さんざんひっぱるだけひっぱっておいて申し訳ないのだけれど、いやこれ、ダメですね。
もちろん、まだ第一話の段階なので軽々に判断はできないものの、とてもこの先、傑作になろうとは思われない。ごく普通に企画倒れのただのよくある凡作でしかないすね。
あえて称賛するなら、この作品を読むと、ネットではバカにする人も少なくない『ソードアート・オンライン』とか『Re:ゼロ』とかがじつはいかによくできていて面白い作品であるかが逆説的によくわかる。
『モナ・リザ』の贋作が『モナ・リザ』の威光を高めるように、といったらいい過ぎか。とにかく、全然面白くない。そういうわけで、この先は「具体的に何がダメなのか?」を他の作品を踏まえて語っていきたいと思います。
この作品を読み終えたあと、ぼくは「この漫画、なぜこんなに面白くないのだろう?」と考えてみたのですが、まあ、その理由はいくつもあるでしょう。
しかし、そのなかで最も致命的なのは、「エンターテインメントとしての志が低い」ことなのではないかと考えます。
先述したようにこの種のパロディは歴史上無数にあるわけですが、それがただ単に露悪趣味的なパクりで終わるか、それとも元ネタをも超える傑作として評価されるかは、その元ネタに対する批評性にあるのではないかと思います。
つまり、元ネタの作品ないし作品群が暗然と抱える構造的な欠点や問題点を批評的に語ることができているかどうか、それがパロディのクオリティを決定する。
で、『チートスレイヤー』はその点で決定的に稚拙ですね。この作品に登場する異世界転生者たちは作中で「前世はただの陰キャ」だの「恋愛脳の非モテ」だのと批判されていて、あえていうならそれがいわゆる「なろう」的なネット小説に対する批判になっているわけですが、そんなの、いままでさんざんいわれていて、もうウンザリするくらい聞き飽きた話であるわけですよ。
いま、「なろう」的なものを書いている人たちはだれもがその点はわかった上でやっているわけでね、まず、批判なり批評としての底が浅い。ネット小説に対する「アンチテーゼ」としてまったく新鮮味がない。それが第一点。
この時点でもうわりとダメダメなのですが、まだいろいろと問題があって、そのなかでもけっこうどうしようもないのが、主人公のキャラクターがきわめて弱いことですね。
他作品からキャラクターを借りて来て敵役に仕立て上げている以上、この作品の主人公であるオリジナルキャラクターはそれらに匹敵する個性と魅力を持っていなければならないわけですが、実際にはこの主人公、ほんとにただのつまらない奴なんですよ。まったく何の魅力もない。ちょっと論外ですね。
それなら、この『チートスレイヤー』と同じような路線で「成功したパロディ」には、どのようなものがあるのか?
ネットでは、すでにこの作品がアメリカンヒーローものパロディの『ザ・ボーイズ』と酷似しているという指摘があります。
ぼくは不勉強でまだ『ザ・ボーイズ』を観ていないので(これから観ます!)、それがほんとうなのかどうなのかわからないのだけれど、話を聞く限り、たしかによく似ているようですね。おそらく、同じようなアイディアから出て来た作品なのでしょう。
もっとも、当然ながらこの手のヒーロー・パロディにも歴史があって、この作品が特別だというわけではありません。先行例としては、ときにアメコミ史上の最高傑作とも呼ばれることがあるダークな超名作『ウォッチメン』などがありますね。
この作品ではたくさんのオリジナルヒーローが出て来ますが、当初の予定では既存のヒーローを流用する予定だったそうです。
というか、ヒーローを悪役にするという発想は、それ自体はきわめて普通のもので、だれもが最初に思いつくところなんですよ。最も魅力的な主人公とは最も強烈な個性を持つ悪役にもなりえることはわかり切ったことであるわけです。
だから『仮面ライダー』とか『ウルトラマン』とか『機動戦士ガンダム』などでも、最終的にはライダー対ライダー、ウルトラマン対ウルトラマン、ガンダム対ガンダムといった展開になっていきますよね。
その発想の根底には「もしあのヒーロー同士が戦ったらどっちが勝つのだろう?」という、いかにも子供っぽい、しかし本質的なクエスチョンがあります。
これはいまも昔も変わらず、人をつよく惹きつける問いで、この手の作品はいくつも挙げられることでしょう。
ちょっと路線は違いますが、『スーパーロボット大戦』なんかも同じような発想から出てきているものと見て良いでしょうね。「もしマジンガーとガンダムがいっしょに戦ったら?」みたいな。
そのなかでもぼくが傑出した名作と見ているのが、戦後最大の天才娯楽作家・山田風太郎の最高傑作『魔界転生』です。
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