ハチミツとクローバー 1 (クイーンズコミックス―ヤングユー)

 羽海野チカ『ハチミツとクローバー』は、いうまでもなくゼロ年代の少女漫画を代表するラブコメディの傑作だ。その終盤で、明るく、快活で、つねにひとから愛される弟に劣等感を抱いている兄の話がある。

 かれはかれで優秀な頭脳の持ち主なのだが、究極的なところで自分を肯定しきる「根拠のない自信」を持っていないのだ。だから、かれはいつも不安に駆られている。それは自分の存在そのものへの懐疑と一体になった不安だ。

 なぜ生まれてきたのか? ほんとうに自分が生きていていいのか? 自分になど何の価値もないのではないか? そういう、答えなどあるはずもない問いで自分を雁字搦めにするしかないタイプの人間だといってもいいだろう。こういう人々のことをぼくは「闇属性」と呼んでいる。

 一方でかれの弟のように、自分の存在理由に一切の不安を持たないひとも、少数ではあるが、いる。そういうひとのことをぼくは「光属性」と呼ぶ。

 闇属性と光属性の差は、色々なところで大きく表れてくる。生まれつき不安を抱いていないようにすら見える光属性の人々は、時として、闇属性のひとの羨望と嫉妬を集める。『ハチクロ』の作中でもそのようすは描かれている。

「忍… 忍…オレはずっと不思議だった どうしてこの世は「持つ者」と 「持たざる者」に分かれるのか どうして「愛される者」と 「愛されない者」が在るのか 誰がそれを分けたのか どこが分かれ道だったのか ――そもそも 分かれ道などあったのか? 生まれた時にはもうすべて決まっていたのではないか? ならば ああ 神さま オレのこの人生は 何の為にあったのですか」。

 人生が何のためにあるのか、とそう悩み、嘆くことじたい、闇属性の特徴である。光属性のひとはそんなこと端から考えもしない。かれらはただ純粋に生きることを楽しむだけなのだ。

 思う。それでは、闇属性の人間は、ひとたび光の道を見失ってしまった者は、どうあがいても光属性のひとには勝てないのだろうか。あるいはかれからすべてを奪ったところで、しょせん「根源的な自信」の差は埋めようもないものなのだろうか。