記事中に書いたように「失敗して恥をかくこと」が怖いからである。以前にも書いたが、それが「ひとを笑うこと」の最大のリスクである。ひとをあざ笑う人間は、当然、自分が失敗してあざ笑われることを恐れるようになる。そのため、夢中になって行動することができなくなってしまう。
常に「おれはまだ本気を出していないだけ」的な保険をかけないとアクションを起こすことができないひとは多い。特に無形の「空気」が社会を支配し、常にひとの顔色を伺いながら生きなければならない日本という国ではそうである。
といいたいところだが、じっさいには海外でもあまり変わらないのかもしれないとも思う。たしかに欧米のエリートは高度な行動力を持っているかもしれないが、それはあくまでトップクラスの人材の話である。社会の下層のほうを生きる人間はそんな自信など持っていないのではないか。
『ベルリン・フィルと子どもたち』というドキュメンタリー映画があるのだが、この作品に出てくる子供たちは日本人の子供たちとまったくいっしょだ。だれもがひとの顔色を伺い、「出る杭」にならないように空気を読みながら行動している。なるべくひとにあざ笑われないようくすくす笑いあったり、友人たちと雑談したりするのだ。
作中の老振付師ロイスマンは、そんな子供たちに向かって叫ぶ。
何が怖いんだ? なぜビクビクする? 君たちは気づいてないが あの笑いのどこかには恐怖が潜んでる 自分がバカに見えるんじゃないかという恐怖 失敗への恐怖 友達に笑われやしないかという恐怖だ
つまりはこの種の恐怖心とまるで無縁の国民性などないということか。日本人が「欧米の社会」というとき、その頂点しか見ていないことが多いんじゃないか、と実感する。あこがれのあまり底辺は無視するのだ。それもまたアメリカであり、ヨーロッパであるのに。
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